月の少年 星の少女
月の少年 星の少女

少年は秋が好きだ

特に月夜が好きだ

夜風に吹かれながら近くにある川沿いの道を自転車で走る

まるで自分が風になったような気分になれる

受験勉強に疲れると、少年はいつもそうして気分転換をした

そして今夜も

家を出てバス通りを横切る

公園の角をまがってまっすぐ行くと

彼が通っていた中学校がある

その脇の急な坂道を駆けおりると川沿いの道に出る

街灯もほとんどない岸辺を彼はゆっくりと走った

夏休みに釣りをしに来た頃には青々と茂っていた背の高い草たちが

今ではほとんど枯れて乾いた音を立てて揺れていた

少年は月に向かってペダルを漕いだ

道標のように月は少年のハンドルを誘導した

しばらく行くと、川に掛かる橋が見えた

いつもなら少年はこの橋を渡って向こう岸の道を家路につく

だが今日は彼は橋を通り過ぎてまっすぐに進んで行った

もう少し月に誘われるままに走ってみようと思った

何となく・・・

どうせこの先にも川を渡れる橋はいくつかあるのだ

このまま遠回りするのも悪くない

少年はまっすぐ走り続けた

目には正面に浮かぶ月だけが見えた

月は川とその岸辺と自転車で走る少年を優しく照らした

彼は走り続けた

この世界を照らす光源へ向かって

静かに回転する車輪は月に導かれて少年を運んで行った

進んで行くにつれ、月は何かを夜の中に浮き上がらせた

少年はそれがなんであるかすぐには分からなかった

夜のサイクリングでこんなところまで来たことはなかったからだ

少年は走り続けた

月の光が照らし出した物に向かって自転車を走らせた

近付くにつれ、それは少しづつ形を現した

川の中流に掛かる橋

さっき少年が通り過ぎたのよりも少し大きい橋

少女はその上にいた

空を見上げながら

少女はその橋の上にいた

少年と同じ高校の制服を着た彼女は

少年の向かってくる方向に体を向けながらも

顔だけは天を仰ぐようにして

近付いてくる少年にも気付かない様子で

少女はその橋のまん中に立っていた

少年はそのままペダルを漕ぎ続けた

そして橋のたもとへ差し掛かるとハンドルを切って

月の光線から外れた

少年は自転車を止めた

体の右半分を月に照らされながら

少女から少し距離をおいて

少年は止まった

少女はまだ空を見上げていた

少年が近付いて来たことにまるで気がついていない様子で

少女はまだ橋のまん中で空を見上げていた

「よう、何やってんだ?」少年は声をかけた

「うん・・・・」少女は顔を空に向けたまま答えた

「こんな遅くに何やってんだよ。しかも制服で」

「星・・・見てた・・・」彼女の答えはぶっきらぼうだったが何となく優しく聞こえた

少年は彼女が見ているのと同じ方へ顔をあげてみた

走っている時は月ばかり見ていて気がつかなかったが

空にはバラまいたように星が光っている

「へぇ、すごいな。知らなかった。街の方じゃこんなには見えないもんな」

「街はね、電燈の光で空を塗りつぶしちゃうんだよ。だから星が見えなくなっちゃうの」

「でもさ、都会の夜景ってのもきれいじゃん?」

「ううん・・・人間の作った光は突き刺すみたい。冷たい光・・・」

少女はそういって黙った

少年は自分の家がある街の方へ目を向けた

地平線の上に取り残された光だけが浮かんで見えた

そこにだけ違う空があるように思えた

「・・・確かに、そうかもな」

少女はそれには答えず

「私ね、いつか星になりたいの」と言った

「え?星?」

少年は彼女の方を向いた

「そう。星」

少女も彼の方に笑顔を向けた

少年は彼女の言葉の意味を探ろうとした

しかし彼には少女の微笑みの奥にあるものは見えなかった

少女は再び空を見上げて言葉を続けた

「ほら、あの青白くて大きい星。あの星の隣がいいの」

少年は彼女が指差した方向を見た

空には文字どおり無数の星が光っている

彼に、少女がどの星を指したのか分かるはずもなかった

「それで、その青白い星は何なんだよ?」

「私のお父さん」

彼は少女の横顔に向き直った

「え?」

「お父さん・・・」

「ああ、うん。分かるよ」少年は目を伏せた

「私、星になりたいな」彼女はもう一度くり返した

その言葉と供に少女の柔らかな香りが風に乗って少年のもとへ届いた

「それなら俺は空になりたい」

少年がそう言うと彼女はくすっと優しく笑いかけて

「ほんと?ありがと」と言った

「優しいよな、星の光って」

「そう、あったかいの」

少年は再び空を仰いだ

「俺はもう行くけど、まだ星見ていくのか?」

「うん、まだいる。気をつけてね」

「おう、また明日。学校でな」

そう言うと彼はペダルに足をかけて力を入れた

そして少女の横を通り過ぎようとした瞬間

彼女が声をかけた

「あ、あのさ!」

「何だよ?」彼はブレーキをかけて振り返った

「あの・・・ありがとう」

「何が?」

「何でもない」

「何だよ」

「何でもないってば。早く行きなよ」

彼は思わず笑った

「変なヤツ。じゃあな」

「うん、バイバイ」

微笑みかける少女に手を振って応え

少年は走り去った

スピードをあげる彼の背中を月が静かに照らしていた

彼はペダルを漕いだ

少女の言った「ありがとう」の意味を

いつか分かる日が来るのだろうかと思いながら

そしてその言葉を彼女の不思議な笑顔と供に胸に刻みながら

彼は走り続けた

少年は秋が好きだ

特に月夜が好きだ

でも今日からは星の夜も好きになった

そんな気がした   

(完)

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