ある日のきんさん

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ある日のきんさん

きんさんとお会いした日の出来事です


2003年 12月27日(土曜日)

仕事の用事で、きんさんからお受け取りするものがあり、

三鷹御殿へ参りました。

その際、きんさんから長らくお借りしているものが多数ございましたので、

お返ししようと、それらも持って伺いました。

 

昼過ぎにお邪魔いたしますと、きんさんは徹夜明けにもかかわらず、

ごきげんうるわしくお迎え下さいました。

私は、お借りしていたものをお返し申し上げ、

おみやげにお持ちした、缶コーヒーとモ○イハ○コのCDを差し上げました。

きんさんは、急ぎの作業がおありでしたので、それに没頭して頂きました。

それでも、気配りのきんさんは、私が退屈しないようにと、

まことに面白げなる、アニメのビデオなどをお見せ下さいました。

また、作品を仕上げるにあたって、私ごときの意見などもお聞き下さいました。

 

しばらくすると、きんさんは素晴らしい作品を完成あそばされ、

それをネット経由で、ご依頼主様にご納品なさいました。

そして、私は必要なものを受け取り申し上げ、

また、良さげなCDなどもお借りして、二人で晩ご飯を食べに行きました。

 

今日のきんさんは、バー○ヤンにてフカひれご飯を召し上がりました。

きんさんは、恐れ多くも今日の食事代を出して下さいました。

食後は、隣にあるブックオフへ参りました。

きんさんはそこでも、「このCDはそちの助けになろうゆえ、

朕より購入して遣わさん」と仰せになられ、

某男性ボーカリストのCDを私の為に、買って下さいました。

私は温かいお心遣いにお礼を申し上げ、寒風吹きすさぶ三鷹を後にしました。

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2003年 12月25日(木曜日)

年末という事で、きんさんの豪邸のお掃除に行きました。

今日は、夕方から、とあるゲームのOP曲のレコーディングがあるので、

午後早い時間にきんさん宅へ伺いました。

途中、中央線が人身事故で止まってしまったので、1時を廻ってしまいましたが、

とりあえず、私は無事に三鷹に着きました。

 

クリスマスという事で、おみやげに小さなケーキをお持ちしました。

きんさんは、夕べ遅くまでお仕事を為さっておられたので、

ずいぶんとお疲れの御様子でしたが、快く私をお迎え下さいました。

 

きんさんは、今日のレコーディングの準備がありましたので、

掃除はもっぱら私がやらせて頂きました。

散らかった紙屑や、空き缶などを整理して、ゴミ袋を外に出したりしました。

それが一段落すると、ちょうどきんさんの作業も終わりました。

 

きんさんは、先日九州においでになった際に、

一緒に仕事をなさった、シンガーのSさんの、新曲のCDを聴かせて下さいました。

曲はもちろんきんさんのお作りになったもので、

そこはかと無い、大人の色気の漂う名作に仕上がっていました。

かく申す、私もその曲にはイッチョかんでおりますので、

私の元にも届けて下さるそうで、ありがたい事でございます。

 

そうこうしている内に、ちょうど良い時間になりましたので、

浅草のスタジオに向かいました。

きんさんは、見学に押し掛けるだけの私に、なんと電車代を出して下さいました。

お心遣いに感じ入って、私が恐縮しておりますと、

程なく浅草に到着しました。

まだ少し時間がありましたので、二人で中華そば(ラーメンではない)&チャーハンを食べました。

 

レコーディングをさくさく終わらせると、きんさんは銀座線に乗って、

年末にしてはちょっと暖かな、夜の下町を後にしました。

 

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2003年 12月17日(水曜日)

今日のきんさんは、都内某所でお仕事の打ち合わせがありましたが、

ちょっと中途半端に時間がありましたので、開いている時間にアキバめぐりをいたしました。

 

きんさんとは、電気街口で午後1時に待ち合わせをしましたが、

きんさんはたいそう早くお着きで、駅前からお電話を下さいました。

きんさんと合流しますと、近くのカレー屋に入って昼食をとりました。

きんさんは、チーズカレーにとんかつを乗せたカレーを召し上がりました。

 

食事をとりながら、きんさんはためになるお話をたくさんして下さいました。

私はきんさんのお話を聞いて、来年の目標を新たに心に誓い、

それをきんさんにもお伝え申し上げ奉りました。

きんさんは、「そはいかにも頼もしかりけるとぞ思わん」とおっしゃって下さいました。

 

さて、お店を出ると、きんさんは音響機材を扱う店をお巡りになられ、

先日来探していらっしゃる、スタジオモニターを物色なさいました。

また、きんさんが音楽を担当なさった、

GBアドバンスのゲームの発売日が明日に迫っていたので、

ゲームショップ等も廻って、市場調査もしていらっしゃいました。

また、久しく行っていない、ある特定の衣装をつけたウェイトレスさんがいる、

有名な喫茶店にいらして、美味しいケーキとお茶も召し上がりました。

 

そうこうしているウチに、打ち合わせの時間になりましたので、

きんさんはクライアントさんの待つ、都内某所へ向かわれました。

きんさんは、打ち合わせが終わったら、

また聖地アキバへ戻っておいでになると仰せになられましたので、

私は色々と自分の用事をしながら、きんさんのお戻りをお待ち申し上げました。

まずは、古すぎて使い物にならなくなってしまった携帯電話を新調しました。

また、以前にきんさんが「そちは、もっとアレンジに気を配ることこそ、

第一と心得よ」とおっしゃったのを思い出し、

楽器屋さんに行って、アレンジに関する書籍を購入しました。

 

しばらくすると、きんさんがお仕事からお戻りになられました。

今度は、きんさんは電気店を御覧になられましたが、

果たして、きんさんの御希望に沿う商品が、大変お手ごろな価格で見つかりました。

お喜びになられたきんさんは、その商品をお求めになられました。

また、DVDソフトのショップ等も見て廻られましたが、

あいにくと食指の動く物はなかったようで、

ソフトはお買い上げにはなりませんでした。

 

さいごに、きんさんはお手ごろステーキショップへおいでになりました。

きんさんは、ステーキ&ハンバーグセットを召し上がり、

同じ物を私にごちそうして下さいました。

私は、きんさんの御恩に報いるためにも、

まずは来年の目標が達成できるように、精進をしていこうと心に誓いました。

 

お店をでたきんさんは、今日の大収穫の電気製品を手に

かつて国鉄と呼ばれたところの電車に乗って、お屋敷へとお帰りになられました。

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2003年 12月15日(月曜日)

今冬発売予定の、某社の某と言うゲームの音楽を、きんさんは担当なさいましたが、

本日は同ゲームのエンディングテーマ2曲の録音がありました。

ちなみに、そのうちの1曲は私が作曲しました。

 

場所は浅草で、開始は正午からでしたが、時間に正確なきんさんは、

ずいぶんと早くお着きでいらっしゃいました。

きんさんは駅近くの喫茶店においでになりましたので、

私もそちらへ行って、きんさんと合流し、スタジオに向かいました。

途中で、製作会社のMさんもいらしたので、3人そろって行きました。

 

スタジオに入って話しておりますと、ちょっとした情報の混乱があったことが判明しましたが、

てきぱきと打ち合わせをいたしまして、きんさんの曲の歌録りが始まりました。

今日歌って下さるのは、「これからドドーンと売りだす予定」の、

新人歌手Iさん(女性)でいらっしゃいました。

 

きんさんの曲は、リズムのはっきりしたダンス系っぽいアレンジの上に、

切なげで美しいメロディが流れると言う、きんさんお得意の切ない曲でした。

Iさんは、部分的にはちょっと手こずった箇所もあったようでしたが、

エンジニアの方が色々と適格なアドバイスをして下さったお陰で、

とてもきれいに仕上がりました。

 

次に私の曲の収録となりました。

実は、私は自分の曲をスタジオで歌って頂くのは初めてなので、

ずいぶんと緊張しており、あれこれと要らぬ指示を出してしまったところ、

きんさんは「そちのダメ出しは、常ならむとも、すさまじと覚えかし」と、

ツッコミを入れて下さり、私の暴走を食い止めて下さいました。

 

そのお陰もあって、私の曲もけっこうすんなりと収録が終わりました。

本当なら、スタジオは夕方の6時まで押さえてありましたが、

短い曲が2曲だけだったのと、Iさんの歌も良い感じに録れたこともあり、

終了した時はまだ午後3時30分くらいでした(安心&笑)。

 

録音が終わりますと、エンジニアのEさんをはじめ、

シンガーのIさんとその事務所の方、

また、同席して下さったM社の方々にご挨拶を申し上げ、

きんさんはMさんと連れ立って外へ出ました。

 

まだ時間も早いと言うことで、3人で近くのファミレスで食事をしようということになりました。

きんさんは、ビビンバっぽいチャーハンのようなお料理を召し上がりました。

 

どうやらMさんは、きんさんの深遠なる御趣味の世界に多大な御興味を覚えられた御様子で、

特に鉄道関係のお話で、とても盛り上がっておいででした。

話している内に、ゲームの事に話題が及びましたが、

Mさんが、「デ○クリ○ゾン」というゲームの名前をお出しになりますと、

きんさんもそのゲームをなさったことがあるとおっしゃり、

今度はその話題で大盛り上がりでした。

Mさんは熱弁を奮って、その「○ス○リムゾ○」が、いかに素晴らしい(?)

ゲームであるか、私に丁寧に御説明下さいました。

私は名前だけは知っておりましたところの「デス○リ○ゾン」が、

大変熱くなれる(ある意味)ゲームだということが分かり、

ちょっとだけやりたくなりました。

 

そうこうしているウチに、サラリーマンの帰宅ラッシュ時間も近くなりましたので、

本日はこのへんでお開きということになりました。

Mさんは御親切にも、今日の食事代を出して下さいました。

年末で何かと物入りの時期なので、

きんさんと私は心からお礼を申し上げました。

 

きんさんは、Mさんと一緒に営団地下鉄G線に乗って、お帰りになりました。

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2003年 12月11日(木曜日)

ミュージカル「ツインズ」で、一緒にお仕事をした、マイク田中さん&ごりさんが

参加されているバンドのライブを見に行きました。

 

ライブは六本木で夜からだったので、午後早い時間に落ち合って、

時間を潰してから行きましょうと言うことになり、

お昼過ぎにアキバで待ち合わせました。

 

きんさんは、アキバにおいでになるとまずお食事にいらっしゃいました。

いつものそば屋に入ったきんさんは、「本日は奮発いたす」と仰せになられ、

天ぷらそばを召し上がりました。

 

食事が済みますと、次にラオッ○ス楽器館においでになり、

楽器や機材のチェックをなさいました。

特に、モニタースピーカーの新調をお考えになられている御様子で、

実物を御覧になっては、聞き比べを為さっておられました。

 

次に、ある特定の種類の書籍を扱う本屋にいらしたきんさんは、

1冊の本を私に勧めて下さいました。

ちょっと見てみると、なるほど、確かに面白そうでしたので、

私はその作家さんの本を2冊買いました。

また、その本屋には、きんさんと私には何やら見覚えのあるCDがおいてあり、

二人でそれを見つけた瞬間、顔を見合わせて苦笑しました。

 

その後、きんさんはDVDショップや音響機器の店を御覧になった後、

日比谷線に乗って、六本木に向かわれました。

ライブハウスに着くと、ちょうどひとつ目のバンドが始まったところでした。

このバンドはどうやらU2っぽいサウンドに、グランジの要素を混ぜたようなことを

やりたそうな雰囲気のバンドでしたが、全体的に今一つと言う感じでした。

きんさんも、余りお気に召したような御様子ではございませんでした。

二つ目のバンド(と言うか、ユニット)は、打ち込みの上に

ベースとシンセの演奏が乗り、二人の男性ボーカルが歌うと言う、

変則的なグループでしたが、これはけっこう面白く、

きんさんは、「新しき息吹を感ずるを禁じ得ず」と、おほめあそばされました。

 

このバンドが終わった頃に、巨匠中田先生、おまちゃん、はしもとえみちゃんも会場にあらわれ、

期せずして「ラ○ザス○シャル同窓会」となりました。

次の演奏は、今日のお目当ての「マ○コタツ○ウ」さんのバンドで、

マイク田中さんとごりさんもステージに颯爽と登場しました。

「○シコ○ツロ○」さんは、有名な歌手に楽曲を提供されている、

有名な作曲家の方ですが、今日は御自分のユニットと言うことでの御出演でした。

曲も魅力的なものばかりでしたし、バックの皆さんの演奏も素晴らしいものでした。

きんさんは、質の高い音楽に触れる喜びで、嬉しそうに演奏を聴いていらっしゃいました。

 

ステージが終わると、演奏を終えたマイクさん&ごりさんをねぎらおうと、

みんなで楽屋へ押し掛けました(注:本当は、そういうことはしてはいけません)。

そこで、とりあえず場所を移して飲むなり食うなりしようやと言うことになり、

マイクさん&ごりさんは片付けが終わってから来ることになって、

お客の私達は、巨匠中田先生御推薦のお好み焼き屋さんへ行きました。

きんさんは、サワーげなものをお飲みになり、

ミックス天を召し上がりました。

皆で盛り上がっていると、マイクさんがおいでになり、

座は一層盛り上がりました。

「同窓会」は一転、「○イザス○シャル忘年会」になりました。

ごりさんは残務がお忙しくて、お開き直前にしか来られなくて残念でしたが、

お二人のステージが見られて、大変嬉しかったときんさんはおっしゃいました。

 

宵も更けて参りましたので、そろそろお開きと言うことになりましたが、

そこの勘定は、なんとごりさんときんさんのお二人で払って下さいました。

皆年末で財布が厳しい時期なので、涙を流してお礼を申し上げました。

 

雨も上がって、良い感じにイルミネーションの輝く六本木を後に、

きんさんは、地下鉄に乗って、三鷹御殿へとお帰りになりました。

 

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2003年 12月09日(火曜日)

今日は、某H社サウンドチームさんの忘年会にお呼ばれして来ました。

急ぎの仕事を、お昼過ぎまでにソッコーで仕上げたきんさんと私は、

某KND駅で待ち合わせをして、会場のあるKMT駅へ向かいました。

きんさんは、私の勉強のためにと、とあるジャンルの音楽の曲を、

たくさんCDに焼いて持って来て下さいました。

また、きんさんがBGMを担当なさったゲームの体験版も、渡して下さいました。

私は心からお礼を申し上げて、それを受け取り申し上げました。

 

さて、KMT駅に着くと、まず会場のお店の場所を確認しましたが、

始まるまでまだずいぶんと時間がございましたので、

近くの喫茶店でコーヒーを飲みました。

また、「空きっ腹にて御酒をたしなむは、是すなわち悪い酔いの遠因なり」とて、

ドーナツセットを注文して、二人で半分こして食べました。

 

しばらくすると時間になったので、会場のお店へ行きますと、

幹事のMさんと、BS社のNさん、Wさんのお三方のみがいらしていましたが、

H社の皆様も続々とお集りになられました。

また、歌姫ゆりりんさんもおいでになり、さらにうれしいことには

take.Dさんもいらっしゃいました。

きんさんは、take.Dさんと御会いになるのはほぼ1年ぶりくらいだったので、

泣かんばかりにお喜びであらせられました。

 

HIRO師匠の乾杯の音頭で始まった忘年会は、和やかに進み、

きんさんは控えめにお酒を召し上がりながら、皆さんと楽しくお話していらっしゃいました。

私も皆さんとためになるお話をしておりましたところが、

またもや調子に乗って大酒をかっ食らってしまい、

後半の記憶が飛んでしまいました。

 

一次回が終わると、ほとんどの方々は二次会のカラオケにおいでになり、

きんさんもご一緒されました。

私は、二次会まで行くと終電車がヤバげなので、そこでおいとまいたしました。

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2003年 12月08日(月曜日)

今日のきんさんは、ゲーム製作会社の某社へ打ち合わせにいらっしゃいました。

午後2時30分頃に某I駅で待ち合わせて、二人でそろって行きました。

 

某社さんには約束の時間より早く着きましたところ、

担当のWさんは外にいらして、まだお帰りではなかったので、待たせて頂きましたが

しばらくすると、お戻りになられ、打ち合わせが始まりました。

 

話し合いは主に、現在進行中の某というゲームの曲について進められました。

きんさんはメモをとりながら、熱心に話し合っておられました。

 

打ち合わせが終わって外へ出ますと、とりあえず食事をとりました。

きんさんはカツ丼&たぬきそばセットを召し上がりました。

 

次にアキバに移動したきんさんは、記録用のメディアを多数お仕入れになりました。

また、音楽機材を扱うお店も少し御覧になりました。

 

さて、今日は夜に都内某所においでになる予定のあったきんさんでしたが、

ここへ来てものすごくキツキツな状態のスケジュールになって来たので、

今日のところはここでお帰りになって、御自宅で曲をお作りになることになさいました。

そこで、その現場には私1人で行くことにしました。

きんさんはそれでもしきりに「我も行かんとぞ思ふ」とおっしゃいましたが、

先方にはよろしく伝えておくからと、私は押しとどめ、

きんさんとJRの駅でお別れしました。

 

都内某所の用事が終わってから、きんさんにその状況を電話でご報告しました。

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2003年 12月04日(木曜日)

今日は色々行きました。

まず、きんさんは某アニメ製作会社に納品をしに伺うことになっていました。

午後早い時間に、そちらへ向かうバスにてきんさんと合流し、

某社さんへと向かいました。

 

某社さんでは、あいにく直接の担当の方はいらっしゃいませんでしたが、

替りに、開発のSさんがきんさんの作品を受け取って下さりました。

某社さんを出ると、次に某H社さんに伺うことになっていましたが、

まだずいぶんと時間がありましたので、食事をとることにしました。

 

駅近くのファミレスに入られたきんさんは、日替わりランチの

「ハンバーグ&コロッケ定食」を召し上がりました。

お食事をなさりながら、きんさんは、私の弱点について適切に御指摘下さり、

また、それを克服するためにはどうしたら良いのか、詳しく御説明下さいました。

私はメモをとりながら、一生懸命拝聴申し上げました。

 

お店を出たきんさんは、まずは電車で蒲田まで行き、

そこからバスに乗ってH社さんへ向かうことになさいました。

H社さんでは、M吉さん、F山さん、M島さんがお出迎え下さり、

皆そろって近くの店でお茶を飲みました。

途中でK林さんとK山さんもいらして、賑やかで楽しい夕暮れのひとときとなりました。

 

さて、夜にはH社さんの方々と一緒に、

某Gプロさんの忘年会に行くことになっておりましたので、

お仕事が終わったK口さん、K野さんと合流してから会場のある渋谷に向かいました。

きんさんはK野さんとは初対面でしたので、

K口さんに御紹介を賜り、丁寧にご挨拶を為さっておいででした。

会場に着くと、Gプロの皆さんがにこやかにお出迎え下さり、

大変なごやかで楽しい忘年会が始まりました。

 

きんさんは少しお酒も召し上がられた御様子で、とても楽しそうに皆さんとお話をされておられました。

私も少しアルコールを頂きましたが、

空きっ腹に飲んだ&久しぶりに飲んだので、ビールをコップに3倍程度で

かなり酔っ払ってしまい、途中から記憶が消えています。

申し訳ありません m(__)m

 

気が着くと、楽しい忘年会はお開きになっており、

2次回までのインターバルの時間になっていました。

きんさんと、H社さんのK口さん、K野さんは2次回の御参加になりましたが、

H社さんのM吉さんと私は終電がヤバいので、おいとますることにいたしました。

2次回を楽しみに待っていらっしゃるお三方に別れを告げ、

Gプロの方にご挨拶を申し上げて、

M吉さんと私は、年末のはなやぐ渋谷を後にしました。

 

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2003年 11月30日(日曜日)

「突撃クラシック強化月間:第2弾」に行って参りました。

今日の演奏は、吉祥寺フィルハーモニーオーケストラです。

先週と同じく、三鷹駅前の喫茶店で待ち合わせをして、合流してから行きました。

行く途中できんさんはCDショップにお入りになりましたが、

何もお求めにはなりませんでした。

会場の武蔵野市民文化会舘にちょっとした食堂がありますので、

そこでお昼ご飯を食べてから場内に入りました。

きんさんは石焼きカレーオムライスを召し上がりました。

 

さて、今日の演目は

1:歌劇「セヴィリアの理髪師」序曲(ロッシーニ)

2:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ベート−ヴェン)

3:交響曲第8番(ドヴォルザーク)

*アンコール

その1:曲名不明・・・・またしても面目ない (^^;

その2:ラディツキー行進曲(ヨハンシュトラウス一世)

 

以上の5曲でした。

きんさんは、演奏に感動しつつも、ちょっとしたミスにも気がつかれた御様子で、

厳しいチェックもお忘れではございませんでした。

 

演奏会が終わると、先週目を付けていた、バッハの演奏会のチケットを買おうと

事務室におもむかれたきんさんでしたが、

なんとお目当てのチケットは完売になっておりました。

先週私が「来週参りました時にお求めになればよろしいでしょう」などと

余計なことを申し上げたせいで、このような大惨事を引き起こし、

全く申し訳ないことをいたしてしまいました。

 

会場を後にしたきんさんは、近所の喫茶店でケーキ&コーヒーを召し上がった後、

御自宅へ一端お戻りになられました。

お屋敷に着くと、私はきんさんから頼まれておりました、

文房具ときんさんのお作りになった曲を譜面に起こしたものをお渡ししました。

また、きんさんのMDレコーダーを修理に出しておりましたのが、

先日出来上がって参りましたものをお持ちしたので、それも合わせてお渡しいたしました。

きんさんはレコーダーが直ってとてもお喜びでございました。

 

また、きんさんは9月に私がお手伝い(正確には邪魔)をさせて頂いた、

某ゲームの画集(ゲーム会社の方が下さったものです)と、

某M先生の芸能生活50周年記念アルバム(CD)を渡して下さいました。

(M先生のアルバムには、私は関わっておりません)

 

また、きんさんは、先週私がお送りした曲をミックス為さったものを

聞かせて下さり、気をつける点等を丁寧に説明して下さいました。

 

そうこうしている内に時間も過ぎ、お腹も空いて来ましたので、

駅の方まで出て晩ご飯を食べることになりました。

久しぶりにボルシチビキ・ノトノトさんも呼ぼうと言うことになり、

きんさんは電話して御覧になりましたが、

あいにくボルシチビキさんとは連絡が取れませんでした。

 

駅近くまでバスで行き、しばらくそこらへんの店を冷やかした後、

大○屋で食事をしました。

きんさんはカツ煮定食を召し上がりました。

晩ご飯がすむと、きんさんは三鷹駅まで見送って下さいました。

来週後半の予定を確認した上で、きんさんとお別れいたしました。

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2003年 11月23日(日曜日)

武蔵野市民オケの、定期演奏会に行って来ました。

正午より少し前に三鷹駅に着きますと、きんさんが連絡を下さり、

駅前のド○ールで合流しました。

 

先日来、とあるお仕事できんさんにずいぶんとお手数をかけてしまったので、

そのことを御相談申し上げ奉るに、

きんさんは色々と丁寧にアドバイスをして下さいました。

 

しばらくお茶を飲んでお話をしていましたが、

開演にはまだずいぶんと時間があるので、吉祥寺の熱帯魚屋に行くことにしました。

きんさんは学生時代に大層熱帯魚にはまったとのことで、

店へ向かう道すがら、たくさんのうんちくを聞かせて下さいました。

その店は井之頭公園の向こう側にあり、駅からの散歩にはちょうどいい距離でした。

店名が「〜水族館」と言う割には、かなり小さな店舗で、

きんさんは少なからず驚いた御様子でしたが、

水槽で泳いでいる魚はどれもこれも希少魚、珍魚の類いばかりだったので、

店内に入られた瞬間、満面の笑みを浮かべておいででした。

店のご主人は親切に魚達の説明をして下さり、きんさんは熱心に聞いておいででした。

しかし、きんさんが見たいと御所望であらせられた、

淡水ふぐ(!)や淡水ひらめ(!!)は居なかったので、ほんの少しうぐぅでした。

ちなみに、そこはマニア向けの店なので、私でも知っているような

グッピーとか、エンゼルフィッシュとか、なんとかテトラなどは一切居ませんでした。

 

店を出ると、バスで会場の武蔵野市民会舘に向かいましたが、

バスの中でちょっと言葉を交わした年輩の御夫人が、

実は今日見に行く楽団のチューバの方のお母さまだとの事で、

ホールの中でお母さまは、きんさんと私にチョコレートを下さいました。

 

さて、今日の演奏曲目は

1:歌劇「ホヴァンシチナ」前奏曲 (ムソルグスキー)

2:交響詩「はげ山の一夜」 (ムソルグスキー)

3:交響曲第4番 (チャイコフスキー)

アンコール: (曲目&作曲者不明・・・面目ない (^^;))

 

の、以上4曲で、きんさんは特に「はげ山の一夜」を楽しみにしておいででした。

しかし、他の3曲にも御満足の御様子とお見受け申し上げました。

 

演奏会が終わると、他日の公演スケジュールをチェックして、

おもしろそうな演奏会のチケットを2回分ほど買いました。

市民オケの演奏会はけっこう安価なので、もっと聴きに参りましょうと、お話しました。

会場を出ると、近くのファミレスでご飯を食べました。

きんさんは目玉焼きハンバーグセットを召し上がりました。

食事をしながらきんさんは、今日聴いた曲を引き合いに出されて、

アレンジのコツを詳しく説明して下さいました。

また、今日の会場でもらったパンフレットを見ながら、

クラシック談義に花が咲きました。

 

店を出たきんさんは、ちょっとだけブッ○オフにお寄りになりましたが、

めぼしいものはなかったようで、そのまま御自宅に戻られました。

お屋敷では、きんさんはビデオにとってある「トムとジェリー」を見せて下さいました。

ビデオはとても面白く、きんさんは「ピアノコンサート」の回が

特にお気に入りだとおっしゃっておられました。

また、海外で最近発売されたソフト音源のデモ版を聴かせて下さいました。

 

そうこうしているうちにだいぶ遅い時間になってしまったので、

バス停まで送って下さったきんさんに別れを告げ、晩秋の三鷹を後にしました。

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2003年 11月17日(月曜日)

六本木にある、とあるライブハウスに行きました。

と言ってもライブを見に行ったのではなく、

先日嶽ちゃんライブを見にいらしていた、ライブハウスの方から連絡があり、

出演その他の打ち合わせにいらっしゃったのでした。

 

今日のきんさんは某T社さんとの打ち合わせもありましたので、

それが終わるのに合わせて某I駅近くで待ち合わせ、

二人で営団地下鉄に乗って六本木に向かいました。

某T社さんとの打ち合わせは調子良く進んだ御様子で、

きんさんは次のお仕事も、私に少し振り分けて下さるとおっしゃって下さいました。

私は喜びのあまり、地下鉄の車両の中で「きゃるーん」と叫んで、車掌さんに怒られました。

 

そうこうしているうちに六本木に着き、程なくそのライブハウスを見つけました。

お店に入ってご挨拶をいたしますと、連絡を下さったSさんが出ておいでになり、

打ち合わせが始まりました。

お店は大変落ち着いた雰囲気で、きんさんもお気に召した御様子でした。

Sさんは、出演するにあたっての内容等を丁寧に説明して下さいました。

きんさんはひとつひとつ注意深くお聞きになり、

不明な点は御質問為さったりしておられました。

また、来月には嶽ちゃんも出演することが分かりましたので、

その日はまた見に参りましょうということになりました。

 

打ち合わせが終わると、駅近くの店で夕飯を食べました。

きんさんは肉じゃが定食とホットコーヒーを召し上がりました。

食事をとりながら、もし出演するならどんな曲がよろしいでしょうかと、

二人で色々考えました。

 

店を出たきんさんは、木枯し1号の吹きすさぶ六本木の街から、

都営大江戸線に乗って三鷹御殿へとお帰りになられました。

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2003年 11月14日(きん曜日)

きんさんと二人で青梅を散策して参りました。

お昼頃に三鷹駅で待ち合わして、電車に乗って行きました。

きんさんは出がけにちょっとしたハプニングがおありだったとのことで、

電車の中でそのことについて、面白く御説明下さいました。

 

程なく青梅に着きますと、まずは前々から行こうと話していた

赤塚不二夫記念館に入りました。

きんさんは「天才バカ○ン」を始めとする、赤塚作品が大好きでいらっしゃるので、

大変お喜びの御様子でした。

特に売店では、常々「いずこの舗にても見つけ能わず」と宣れたる、

単行本の全巻揃いたるを見つけ給われ、その内の何冊かをお求めあそばされました。

 

赤塚記念館の次は、その隣にある「昭和レトロ博物館」へ行きました。

そこには、懐かしい駄菓子やの商品やチープなブランドグッズが満載でした。

きんさんは、「我、駄菓子商品には一家言あらんと心得よ」と申され、

ひとつひとつの展示物にご興奮の御様子でした。

博物館には「となりのレトロ」と名付けられたる喫茶店があり、

そこできんさんはコーヒーを召し上がりました。

 

最後に、きんさんは青梅丘陵の中腹にある、「鉄道公園」へいらっしゃいました。

きんさんはこの施設のことを前から御存じでいらして、

訪れるのを楽しみにしていらっしゃったのでした。

公園には様々な写真や記念品、また引退した車両等がおいてあり、

きんさんは大変喜んでおいででした。

きんさんは御幼少の折より鉄道マニアでいらしたので、

特に電気機関車に関しては大変な知識をお持ちで、

展示されている写真を御覧になっては、私に詳しく説明して下さいました。

私はきんさんの知識の広さ、深さにいたく感銘をお受けいたしました。

 

博物館を出て丘陵をおりると、しばらく青梅駅周辺をぶらぶらしました。

何故か青梅には昔のままに残されている建物が多く、

レトロ好きのきんさんは、そのことも大層喜んでいらっしゃいました。

帰る前にきんさんは空腹をおぼしめされ、駅前の「鶴家」という食堂にお入りになりました。

そこはそば、ラーメンから寿司、うな丼等、なんでもありの

昔ながらの食堂で、それもまたきんさんを喜ばせました。

きんさんは玉子とじそばを召し上がりました。

 

お腹がいっぱいになったきんさんは、御満足の御様子で三鷹に戻られました。

三鷹では駅前のド○ールでコーヒーを飲んでからお別れしました。

目的の2ケ所以外にも得るものがたくさんあったようで、

今日の青梅散策は大変有意義でした。

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2003年 11月9日(日曜日)

きんさんのアルバム「@LIFE」に、曲を提供して下さった、

2DAYSさんのライブに行って参りました。

 

きんさんと合流して会場に行こうと思っていたのですが、

渋谷駅で連絡をとったところ、ちょっと遅れそうだとのことでしたので、

私は1人で会場に向かいました。

会場では、ボーカルトラックス愛好会の懐かしいみなさんと一緒になりました。

 

開演少し前に、きんさんから渋谷駅についた旨のお電話がありまして、

どうやらライブ開始ギリギリで、会場にお入りななられた御様子でしたが、

2DAYSさんの演奏中はご一緒することが出来ませんでした。

 

熱狂のステージが終わって会場を見渡すと、後方にきんさんを見つけました。

きんさんは、元同僚で、2DAYSさんのHPトップ絵を書いていらっしゃる、

HOTさんと御一緒でした。

私もHOTさんとは面識があったのですが、ほぼ3年ぶりくらいなので、

改めてご挨拶申し上げました。

 

きんさんは、ライブ後に客席にいらして、お客様にお礼をおっしゃっておられる、

2DAYSシンガーのくまのきよみさんや、ベースのデイズわたるさんにご挨拶をなさり、

とりあえず顔見知りの面々で外に出て、近くのMacでお茶を飲みました。

 

コーヒーを飲んでおられたきんさんに、議長さんから電話が来て、

何やら選挙速報げな情報を聴いていらっしゃる御様子でした。

HOTさんも議長さんとはよく御存じの仲なので、

「議長さん、きんさんと会えなくてさみしいんでしょうねぇ」等と言って笑いました。

 

2DAYSさんの打ち上げもあるとのことでしたが、

きんさんはそちらの方は遠慮為さって、今日はお帰りになることにしました。

打ち上げに参加為さる、VT愛好会会長のTyuhさんに「くまのさんによろしく」と

お伝えになられたきんさんは、井之頭線に乗って雨の渋谷を後にされました。

てっぺんに戻るぴよ


2003年 11月8日(土曜日)

今年最後の嶽ちゃんライブへ行きました。

きんさんとは昼過ぎに渋谷で待ち合わせをして、昼食をご一緒してから参りました。

きんさんはチャーハンとアイスコーヒーのランチセットを召し上がりました。

 

きんさんは、この数カ月間私がお手伝いさせて頂いた、

とあるゲームのサントラCDのサンプル版をわざわざ持って来て下さいました。

私は私は拝復してそれを受け取り申し上げました。

 

食後にまったりとお話などしておりますと、嶽ちゃんから電話が入り、

3時頃に出演とのことでしたので、それに間に合うように店を出てライブハウスへ向かいました。

 

私達が到着すると、ちょうど嶽ちゃんの前の方の演奏でした。

その方はあまりライブ経験の多い方ではないらしく、かなりイケテないステージだったので、

ライブハウス全体がドヨーンとした空気に包まれていました。

きんさんも、「かの曲はフリージャズならんと覚えかし」と、かなり御立腹の御様子でした。

 

しかし、その次に颯爽と登場した嶽ちゃんの爆走ロックンロールで、

死にそうになっていた客席全体が息を吹き返しました。

今日のライブは今年最後ということで、嶽ちゃんはかなり気合いが入っており、

客席で御覧になっておられたきんさんも、さかんに声援を送っていらっしゃいました。

今日の嶽ちゃんの気合いのは入り様は凄まじい程で、

いつもはたくさん喋るMCも少なめでした。

でも素晴らしい演奏と歌で、熱狂のうちに嶽ちゃんのステージは終わりました。

 

その次に出演なさったのは、マツキチさんというギター弾き語りの女性でしたが、

この方の歌がまた素晴らしくて、きんさんも大層お気に召した御様子でした。

それが証拠に、ライブ終了後にきんさんは直接マツキチさんにご挨拶為さっていらっしゃいました。

 

さて、ライブがはけますと、いつものように嶽ちゃん始めあくっちゃん、すーさん、

きんさん、そして私というメンツでお茶をのみに行きました。

茶店では、ガンプラの話やらゲームの話やらで大盛り上がりしました。

きんさんは特に、某Tという超有名なゲームを嶽ちゃんやあくっちゃんにお勧めになっておられました。

そのゲームは、私がきんさんとお知り合いになる切っ掛けとなったゲームなので、

私も二人に強力に勧めました。

 

そうこうしているうちに喫茶店の閉店時間となり、

渋谷駅で大声を張り上げているストリートミュージシャンを横目に、解散となりました。

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2003年 10月30日(木曜日)

先日、きんさんとご一緒させて頂いている、某というゲームの音楽を

全曲納品いたしましたが、そのうちの何曲かに修正依頼が来ており、

この2日間でそれらを仕上げましたので、

完成したものをきんさんのお屋敷にお持ちいたしました。

 

きんさんは、昨日M先生のアルバムの曲のオケのレコーディングがあって、

たいそうお疲れの御様子でしたが、私が到着すると笑顔でお迎え下さいました。

 

きんさんは私がお持ちしたデータのCDと名刺印刷用紙をお受け取りになりますと、

昨日までにお作りになられた曲や、最近DLなさったプラグイン音源などを、

私に聞かせて下さいました。

 

また、何かの話のついでに、ゲーム「幻想水○伝」の話題が出ましたところ、

きんさんは「我がコレクションに有りと覚へり」と仰せになられ、

わざわざゲームを起動して、序盤をプレイして見せて下さいました。

このゲームは音楽が素晴らしいことで有名でしたので、私は

発売当時買おうと思っていたところが、タイミングを逸してしまったことを申し上げると

きんさんは恐れ多くも貸して下さると仰せになられました。

私は拝復してゲームをお借り申し上げました。

 

その後、音楽の話をいたしましたり、TVを見たりして、

つれづれと過ごしおりしが、やうやう7時も近くなりて空腹も覚えつらむとて、

夕食をとりに外へ出ました。

 

途中でブッ○オフへ寄りましたが、きんさんは何もお求めにはなりませんでした。

ただ、とあるゲームに興味をお示しになられたところ、

かのゲームなむ我の持てりと覚ゆるを見て、きんさんの買わんとなさるを押しとどめ、

次回お会いする際に、お持ちいたしますと言上申し上げました。

 

さて、本日は味民にてうどんの夕食をとりました。

きんさんはカツ丼&ミニうどんセットプラスホットコーヒーを召し上がりました。

食事が終わると、仕事も一段落着いたということで、

本日はゆっくり寝ましょうということになり、9時頃にきんさんにおいとまを申し上げて帰途につきました。

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2003年 10月27日(月曜日)

きんさんはただいま、某M先生のCD製作のためのアレンジで大忙しですが、

何やら煮詰まりぎみの御様子とお見受け申し上げましたので、

ギターを担いでお邪魔して参りました。

 

いえいえ、お手伝いなどとは滅相もないことでございます。

ただきんさんは、「側にてギターなど弾きいたせば、良き案も浮かばん」と、

おぼし参らせ給ふたのでございます。

 

午後早い時間に三鷹に着きましたが、

お電話いたしましたところ、きんさんは昨日も徹夜なされた御様子でした。

私は肉まんと缶コーヒーを持ってうかがいました。

 

お館に着くと、きんさんは課題の2曲の内、すでに出来上がっている1曲を聞かせて下さりました。

続いて残りのもう1曲のアレンジを始めました。

夕べきんさんからその曲を聞かせて頂いていて、コードもとっていたので、

私はギターで弾いて色々提案をしたり、

きんさんが口ずさんでおられるギターリフを実際に弾いてみたりいたしました。

 

きんさんは、私のへたれギターが、さぞかしやかましくございましょうに、

すらすらとアレンジのラフな進行をお考えあそばされました。

それを私がノートに書いて、なんとか大まかな構成が決まりました。

 

きんさんはそれを元に打ち込みを為さるとのことでしたので、

ちゃんとした五線譜に清書いたすことになり、文房具屋さんへ行きました。

そこで五線譜と封筒をお求めになられたきんさんは、

次にブックオフヘお立ち寄りになられました。

 

ブックオフを出ると、譜面の清書も兼ねて、隣のバーミヤンで食事をすることにいたしました。

きんさんは、コード譜を書いている私のために、わざわざコーヒーを煎れて来て下さいました。

きんさんは五目焼そばを召し上がりました。

 

一旦お館に戻りますと、某Mさん(M先生ではない)からメールが来ておりました。

先日来作っていた、ゲームの音楽に対する修正の御注文でした。

きんさんはそのメールを私に転送して下さいました。

その後、先程清書したコード譜の確認をいたしまして、

本日はちょっと早めにお屋敷を辞して帰宅いたしました。

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2003年 10月24日(きん曜日)

きんさんのお手伝い(正確には邪魔)をさせて頂いていた、

某社のDと言うゲームの音楽の、私の担当の分が全部出来上がったので、

まとめてきんさんのお宅へお持ちしました。

 

きんさんは駅の近くのパソコンショップにようがおありでしたので、

私は三鷹に着いてからお電話をして、駅前で合流しました。

 

まずは歩いて戻る途中で、きんさんは資料にするために

とある女性シンガーのCDをお求めになりました。

 

また、ちょうどお昼過ぎでしたので、先日閉まっていた洋食屋「ホットミルク」ヘ行き、

ちょっと遅めのランチをとりました。

きんさんはベーコン巻チーズハンバーグ定食を召し上がりました。

きんさんは今日もお食事をごちそうして下さいました。

 

お店を出ると、きんさんは古本屋へおいでになり、

「天才バカ○ン」の単行本をお求めになられました。

 

お屋敷に戻られたきんさんは、先程お求めになられたCDをお聞きになった後、

ネットサーフィン(死語)を為さりながら、

「ゲーム音楽であれば○×や、△◇などのアーティストは聞いていてしかるべし」と、

色々と参考になるお話をして下さいました。

私は帰宅してから、きんさんが勧めて下さったCDをお店で探してみようと思いました。

 

また、きんさんは先日の「インディーも」を録画したものを見せて下さいました。

その後は日本シリーズの第3戦等をTVで見ておりましたが、

何となく思うところがあって、7時頃においとまをしました。

きんさんはわざわざバス停まで送って下さいました。

 

ちなみに私事で恐縮ですが、帰宅してからニュースを見ていたら、

私が帰った後で三鷹では駅前で通り魔事件があり、

男性がひとり亡くなったとのことでした。

のみならず、JR総武線も人身事故でしばらく運転を見合わせていたそうで、

今日はがらにもなく第六感が働いてしまいました。

きんさんは、両方の事故(事件)に、私が遭わなかったかどうか

恐れ多くも心配して10時過ぎくらいに電話を下さいました。

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2003年 10月18日(土曜日)

きんさんとご一緒させて頂いている、とあるゲーム音楽の

私の担当分の出来上がった曲をきんさん宅にお持ちしました。

あいにくの雨でしたが、JRは遅れることなく昼過ぎに三鷹に着きました。

 

お宅へお邪魔すると、きんさんはいとし・こいしさんの

漫才の音源やビデオを見せて(聞かせて)下さいました。

漫才はとても面白く、きんさんはいとしさんの御逝去を大変悔やんでおられました。

 

私がお持ちした曲をお聞き下さったきんさんは、

「特に変え得るべき所見も見当たらず」と、大変おほめ下さり、

全曲そのままクライアントさんに送って下さいました。

 

そうこうしているうちに日本シリーズが始まりまして、

二人でしばらく見ておりました。

きんさんは福岡県の御出身ですが、今年に限っては

阪神を応援なさるお気持ちもおありの御様子で、

ちょっと迷っていらっしゃるようでした。

 

試合の方は皆さん御存じのように大変白熱したものでしたが、

福岡ドームでやっていることもあって、ラーメンやら明太子の話題が出て、

とてもおなかが空いてしまったので、食事に行くことにしました。

 

食事はいつものバーミ○ンでとりました。

きんさんはきのこ焼そばとフカひれスープを召し上がりました。

きんさんは前回に続いて今日も晩ごはんをごちそうして下さいました。

 

土曜日ということもあってお店は混んでいたので、

食事が終わると早めに外へ出て、隣のブックオフへ行きました。

しかしきんさんの食指の動くものはなかったので、

今度はもうちょっと駅に近い古本屋さんへ行ってみました。

その本屋さんは大変膨大な商品を揃えており、

きんさんはお気に召したものがあったようで、フジオ・ア○ツカの漫画を

数冊お求めになられました。

また、きんさんはその店の中でもスペシャルな商品のそろったコーナーを

教えて下さり、そこには私が喉から手が出るほど欲しい漫画が

いくつかありましたが、プレミアが付いて結構な値段がしていたので、

泣く泣くあきらめました。

 

きんさんは、店の前から出るバスに乗って帰る私を見送って下さいました。

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2003年 10月15日(水曜日)

今日のきんさんはインターネットTVの「インディーも」に御出演なさいました。

また、ゲストにはヒットメイカーの光吉さんも御出演なさり、

お二人がお歌いになるスタジオライブでのバック演奏を、

巨匠中田先生と私めが務めさせて頂きました。

 

局入りは夜の8時でしたが、一度練習しておこうということで、

夕方6時から練習スタジオに入ることにしました。

きんさんとは午後3時過ぎにアキバで合流し、

とりあえずファーストフード店で軽く腹ごしらえをしました。

きんさんはチーズバーガー、ブロッコリースープ、アイスコーヒーを召し上がりました。

また、きんさんは私にチキンナゲットとコーヒーをごちそうして下さいました。

 

店を出るときんさんはCD屋におもむかれ、

M先生御依頼のお仕事の資料として、さる大物外タレの最新アルバムを

お求めになられました。

 

そうこうしているうちにちょうど良い時間になりましたので、

巨匠中田大先生と合流し、練習スタジオに向かいました。

光吉さんはすでにスタジオにいらしており、

すぐに練習が始まりました。

巨匠中田先生がナイスなアレンジをして来て下さったので、

練習は滞りなく進み(ただし、私のベースだけはかなりヘタレ)、

歌っていらっしゃるきんさんと光吉さんもとても気持ち良さそうでした。

 

練習が終わると近くのパスタ屋さんで夕食をとり、

放送局へ向かいました。

生放送の模様は御覧頂いた通りですが、

きんさん始め、光吉さんも巨匠中田先生も素晴らしい演奏&歌を御披露下さいました。

 

放送が終わると、控え室で少しお話&反省をしてから解散し、

きんさんは光吉さん、巨匠中田先生と一緒にJRで帰途につかれました。

 

きんさんはお帰りになられてからわざわざお電話を下さり、

今私がお手伝い(正確には邪魔)しているお仕事について、

ちょっとした打ち合わせをいたしました。

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2003年 10月14日(火曜日)

きんさんは先週から福岡に帰省しておられましたが、本日お戻りになられました。

 

帰りがけに、明日御出演なさる「インディーモ」の打ち合わせのため、

某H社さんにお寄りになられるので、私も合流して一緒に伺いました。

午後二時に大鳥居駅で待ち合わせしましたが、例によって私は迷ってしまい、

きんさんに電話で誘導して頂きました。

 

10日ぶりにお会いしたきんさんは、髪を切り、

九州の健康な太陽を浴びていらして、とてもお元気そうでした。

 

駅からきんさんがH社さんに御連絡為さり、

近くのファミレスで合流ということになりました。

ファミレスではきんさんはドリンクバーのアップルティーを召し上がりました。

しばらくすると光吉さんがお見えになられ、打ち合わせが始まりました。

きんさんは、光吉さんと明日演奏する曲の歌の分担などを

お話し合いなさいました。

それが終わると、柳川のお祭りの様子などをお話下さいました。

また、光吉さんも現在お住まいの地域のお祭りのことなどを、

お話下さり、大変盛り上がりました。

 

その後、お仕事の都合で遅れていらした巨匠中田大先生がお見えになり、

再び曲のことであれこれとミーティングをしました。

 

ミーティングは滞りなく終わりましたので、手短かに明日の予定などを打ち合わせして、

本日は早めのお開きとなりました。

きんさんは品川でJRに乗り換え、一週間ぶりの三鷹御殿へとお帰りになりました。

 

てっぺんに戻るぴよ


2003年 10月5日(日曜日)

とある企画で、きんさんのお歌のバックでベースを弾かせて頂くことになったので、

その曲を受け取りに三鷹御殿にお邪魔しました。

 

夕方近くに伺いますと、きんさんは今日の秋晴れの空のように

ごきげんうるわしくていらっしゃいました。

 

まずは、課題曲の数曲をCDに焼いて頂きましたが、

その際にきんさんがお持ちの珍しい曲をいくつか、一緒に頂くことにしました。

また、きんさんはいつかカバーでやりたいと常々おっしゃっておられる曲を、

私に聞かせて下さいました。

 

また、今日は巨匠中田先生がいらして、きんさん宅でギターの録音をなさるので、

巨匠が見える前にご飯を食べることにして、外へ出ました。

私が所望した洋食屋さんが休みだったので、しかたなくバーミ○ンへ行きました。

きんさんは天津飯を召し上がりました。

 

食事がちょうど終わった頃に巨匠中田先生が電話を下さったので、

バス停までお迎えに行きました。

きんさん宅でさっそくギターの音合わせをなさる巨匠中田先生は、

都合でエフェクターボードをお持ちではありませんでしたが、

それを感じさせないほどの素晴らしいプレイを即座に御披露なさり、

きんさんはとても感激しておいででした。

 

録音は続いておりましたが、そろそろ終電がヤバいので、

後ろ髪引かれる思いで私はおいとまを申し上げて帰りました。

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2003年 10月3日(きん曜日)

今日は、きんさんが音楽を担当されている、

とあるゲームのオープニングテーマの歌録りがありました。

 

私のそのゲームのBGMの作曲を手伝わせて頂いており、

スタジオでの録音は夜の9時からだったので、早い時間にきんさんの家にお邪魔して、

今まで作った曲のダメ出しをして頂きました。

 

夕方にきんさんの家に着くと、とりあえずお掃除をしました。

きんさんは最近洗濯機をゲットなさったので、

それを置く場所を確保し、うまい具合に設置することが出来ました。

 

それが終わると、きんさんに私の作品を聞いて頂きました。

きんさんは「このままでよろしかろう」とおっしゃって下さり、

今日の録音に来て下さる、製作会社の方に渡すと仰せになられて、

先週お持ちした分と合わせて、まとめてCDに焼いて下さいました。

 

その後、大急ぎで譜面を用意したりしてから、スタジオに向かいました。

スタジオのあるW駅に着いたところで、

今回のゲームを製作しておられる某B社さんの、Mさんとお会いしました。

私は初対面でしたので、Mさんにご挨拶申し上げ、

迎えに来て下さったスタジオの方と一緒に4人で現場に行きました。

 

しばらくするとシンガーのY姫様、またB社さんの製作のSさんもお見えになり、

全員そろったところで録音が始まりました。

 

始まる前は、きんさんは初めてのスタジオだし、

Y姫様も今まで歌ってもらった曲とはずいぶん雰囲気が違うので、

うまく行くかちょっと心配されていましたが、

レコーディングは順調に進み、滞りなく終わりました。

 

きんさんはスタジオのエンジニアの方ともずいぶん打ち解けた雰囲気で、

楽しいお仕事が出来て御満足の御様子でした。

録音が終わるとかなり良い時間でしたので、その場で解散となり、

きんさんは営団地下鉄T線に乗って、秋の夜長の三鷹へとお帰りになりました。

てっぺんに戻るぴよ


2003年 9月26日(きん曜日)

きんさんは今いくつかのお仕事を手掛けていらっしゃいますが、

そのうちのひとつを、私がお手伝いさせて頂いています。

 

この数日で3曲ほど書きましたので、出来をチェックして頂くために、

きんさんの三鷹御殿に行って参りました。

 

昨日電話した時に、きんさんはあまり具合がよろしくなさそうだったので、

食べるものを少し持って伺いました。

お部屋にいらしたきんさんは調子がよろしくなられたようで、

機嫌良く迎えて下さいました。

 

しばらくお話をしたあと、きんさんに私の作品を聞いて頂きました。

きんさんは「悪くない」と、たいそうほめて下さりました。

私はうれしく思いましたが、これに甘んじることなく、

これからも一層精進を続けようと思いました。

 

お仕事の話が終わると、きんさんは役に立つプラグインや、

おもしろいウェブサイトなどをたくさん教えて下さいました。

特におもしろかったのは、日本グッズを通販しているアメリカのサイトで、

商品をひとつひとつチェックしては、二人で大笑いしました。

 

そうこうしているとおなかが空いて来たので、

近くのラーメンやさんへ行きました。

きんさんはチャーハンを召し上がりました。

また、餃子をひと皿とって二人で半分こしました。

 

食後はお店でまったりしていましたが、

きんさんが、夕べ徹夜した私を気遣って下さり

今日は早めの解散となりました。

てっぺんに戻るぴよ


2003年 9月18日(木曜日)

仕事の打ち合わせなど色々あって、きんさんの家にお邪魔して参りました。

 

きんさんの家に着くと、まずは現在取り掛かっているゲームの曲の

エンディングテーマを作ったものを聞いて頂きました。

きんさんは、私の曲の良いところ悪いところを的確に御指摘下さり、

良くないところはどのようにしたら改善できるか、

丁寧に教えて下さいました。

 

次に、きんさんが担当されている別件の曲の、歌詞を二人で考えました。

今日の私は全く調子が出ず、ほとんどお力になれませんでした。

私がトホホな顔をしてへこんでおりますと、

きんさんは、詞を考えながら曲を書くことも大切なのだということを、

切々と語って下さいました。

私は次からはそのようにしてメロディを考えようと心に誓いました。

 

ちょっと苦労しましたが、きんさんは歌詞を書き上げましたので、

お粥屋さんへ晩ご飯を食べに行きました。

きんさんは梅しらす粥セットを召し上がりました。

 

お店のご主人とはすっかり顔なじみになり、

ほかのお客さんも交えて、プロ野球の話などで盛り上がりました。

また、ご主人が話して下さる台湾の話題に大変興味をお示しあそばされ、

「いずれの日にか、朕も行かんとぞ思ふ」と、

新たな目標が出来た御様子でした。

 

食事が終わると結構良い時間でしたので、

きんさんにお礼を申し上げて、私はおいとま申し上げました。

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2003年 9月13日(土曜日)

きんさんにお誘い頂いて、アミューズメントショーを見に行きました。

きんさんは、お仕事つながりで某G社のSさんもお誘いになっておられたので、

東京駅の銀の鈴で待ち合わせを致しました。

私はSさんとも面識があったのですが、

どうやらSさんは覚えていらっしゃらない御様子でしたので、

改めてご挨拶申し上げました。

 

3人そろったところで、会場へ向かう前に東京駅で昼食をとりました。

きんさんはスパゲッティ・ミートソースを召し上がりました。

昼食が済むとバスに乗って、ビッグサイトへ向かいました。

会場へ到着すると、S社のNさん(前説職人)が、お出迎えして下さいました。

Nさん(前説職人)に案内して頂いて、まずはS社さんのブースへ参りました。

Nさん(前説職人)は、カードゲームのイベントの司会も為さるとのことで、

大変張り切っていらっしゃいました。

S社さんのブースのあたりには、きんさんの仕事関係のお知り合いの方々がいらして、

きんさんは皆様にご挨拶をなさいました。

また、Sさんを皆さんに御紹介なさっておられました。

 

さて、今回の大きな目的は”H”さんのライブを拝見することでしたが、

まだ時間がありましたので、会場を見て廻ることにしました。

3人で別れて小1時間ほど会場を廻って、ちょうど良い時間に

S社さんのブースの近くでまた集合し、ライブに突入しました。

 

きんさんは、”H”さんのライブを客席から御覧になるのは

久しぶりだったようですが、大変楽しんでいらっしゃる御様子で、

歓声を送ったり、手拍子をとったり、紙テープを投げたりと、

とても熱狂しておられました。

 

白熱のうちにライブが終了すると、

きんさんは機材搬出をお手伝いなさいました。

大勢で運んだので、搬出はあっという間に終わりました。

”H”さんならびに某H社の皆さんは、

御親切にも打ち上げにきんさんを誘って下さいました。

Sさんは御用事があってお帰りになられましたので、

きんさんと私の二人でお邪魔しました。

 

打ち上げには、ダーツバー某B渋○店の皆さんもおいでになりましたが、

店長さんのSさんはじめ、皆様大変楽しく礼儀正しい方々ばかりで、

きんさんはものすごく楽しそうにしていらっしゃいました。

それが証拠にいつもなら御辞退なさるビールを召し上がり、

のみならずイッキ飲みまで御披露なさいました。

私はきんさんがイッキあそばされるお姿を初めて拝見いたしました。

 

楽しい打ち上げが終わると、

きんさんはゆりかもめでとりあえず新橋までお戻りになられました。

新橋に着いたきんさんは、コーヒーを所望されましたので、

近くの喫茶店でお茶を飲むことにしました。

きんさんはアイスカフェラテを召し上がりました。

コーヒーを飲みながら、

きんさんは私の弱点を御指摘下さり、詳しくアドバイスをして下さいました。

私は拝復してそのお言葉を承りました。

まだきんさんのお話を伺っていたかったのですが、

残念ながら終電の時間が迫って着ましたので、

後ろ髪引かれる思いでそれぞれの帰途につきました。

 

てっぺんに戻るぴよ

 


2003年 9月9日(火曜日)

きんさんは先月何曲かの作品を、福岡の歌手Sさんに御提供なさいましたが、

それらの曲の採譜を頼まれましたので、お忙しいきんさんに替わって、

私が譜面&コード譜を書きました。

先日それが出来上がりましたので、本日きんさんと待ち合わせて、

お渡しすることにしました。

 

きんさんは午後に某ゲームの打ち合わせがありましたので、

都合の良い場所ということで、中野で待ち合わせることにしました。

打ち合わせの終わる時間は不明でしたので、私は少し早めに行って、

先日きんさんに教えて頂いた、怪しげな店の数々を冷やかしていました。

 

しばらくするときんさんがお電話を下さいましたので、

中野駅で合流して、ちょっと早めの夕御飯を食べました。

中華料理店に入ったきんさんは、玉子&青菜炒め定食を召し上がりました。

食後にきんさんは、別件の新しいお仕事のお話をして下さり、

その資料の受け渡しなどもあって、きんさんのお屋敷に伺うことにしました。

 

総武線〜ム−バスできんさん邸に着くと、すっかり暗くなっていました。

きんさんは新しいお仕事の資料を渡して下さり、

ゲームの要点などを的確に説明して下さいました。

 

その後、部屋の掃除&片付けなどを致しましてから、

今日はちょっと早めにおいとま申し上げました。

てっぺんに戻るぴよ


2003年 9月5日(きん曜日)

今日はきんさんの御友人であらせられる、

グラフィッカー小林さんの引っ越しのお手伝いをしました。

 

小林さんとの待ち合わせは午後6時でしたが、

それまで突撃お掃除大作戦パート5をしました。

ただ、きんさんはキツイお仕事明けでお疲れの御様子でしたので、

TV周りを本の少し掃除しました。

 

そのうちおなかが空いてきたので、

いつものお粥さんへ行ってみましたが、ちょうどタイミングの悪い時間で

閉まっておりました。

仕方がないので、その近くにある味民へ行って食事をとりました。

きんさんは、ランチセットの天丼セットを召し上がりました。

 

きんさん邸に戻ると、きんさんはお持ちのCDの中から

珍しいCDを聞かせて下さいました。

角○敏○や電○グ○ーヴ、坂○竜一などを聞かせて下さいました。

どれも素晴らしい曲揃いで、きんさんの音楽の幅の広さの一端を垣間見ました。

またきんさんは曲ごとに参考にすべき点を説明して下さいました。

私は自分の弱点を少しでも克服しようと、

師匠のお言葉をもとに、一生懸命曲を聞きました。

 

そうこうしている内に小林さんがいらっしゃいましたので、

3人でレンタカーを借り、必要なものを買ったり、

小林さんのおごりで晩ご飯を食べたりしてから、

荷物の積み込みに取り掛かりました。

 

小林さんは絵を描く仕事をなさっておられるだけあって、

参考にする書籍やプラモ、フィギュアなど(半分は趣味)がたくさんあってたいそうな荷物でした。

小林さんは気楽に考えていらしたようでしたが、

まだ梱包されていない荷物もたくさんあったので、

きんさんは小林さんの部屋の状態を見た瞬間「これはヤバいぞ」と思われたらしく、

すごい勢いで作業をお始めになりました。

そして、さかんに「休憩しよう!」を連発する小林さんを叱りつけながら、

どうにかこうにか夜明け頃にはほとんどの作業を終えることができました。

作業中に、小林さんは御自分のお描きになった絵をいくつか見せて下さいましたが、

さすがプロと言う感じの素晴らしい作品ばかりでした。

きんさんはそれらを御覧になるたびに大変感激なさっておられました。

 

私はどうしても外せない用事があったので、

朝の8時頃に小林さんにお別れを申し上げて、家路へとつきました。

きんさんは小林さんの荷物の詰まったトラックを運転なさるので、小林さんの家に残られました。

お二人はわざわざバス停まで私をお送り下さいました。

てっぺんに戻るぴよ

 


2003年 9月3日(水曜日)

第4回突撃お掃除大作戦に行って参りました。

途中の船橋で「これから伺います」と電話を差し上げた所、

きんさんは「頭痛がせらるるによって、薬を求め参らせ候へ」と仰せになられたので、

三鷹でバファリンを買って行きました。

「頭痛」と聞いて心配していましたが、きんさんは結構お元気そうでした。

 

きんさんはお急ぎの仕事をなさっておられたので、

今日は私ががんばって掃除をしました。

本日は主にきんさんの仕事場周りの棚や床を整とんしました。

きんさんは、その間に仕事を済まされ、

新しく出来た曲(某ゲームのOPテーマ曲)を聞かせて下さいました。

物憂げな感じのする秀作でした。

私は改めてきんさんの懐の深さを痛感しました。

 

お仕事が終わったきんさんは、私が片付けた床を

雑巾でお磨きあそばされました。

おかげで床はすっかり綺麗になり、スペースもたくさん空いて、

1人くらいなら足を伸ばしてゆっくり寝られるくらいになりました。

 

掃除もひと段落したので、8時過ぎに夕飯を食べに

いつもの某バー○ヤンヘ行きました。

きんさんはチャーハンとワンタンを召し上がりました。

ワンタンは結構な量で、きんさんは荷が勝ち過ぎると申されて、

私に半分わけて下さいました。

 

そうこうしている内に夜も更けてきましたので、私はきんさんにご挨拶申し上げて、

家路へとつきました。

 

余談ですが、今日は雷の影響で中央線(総武線)が遅れたらしく、

帰りの電車はものすごい混雑でした。

(とは言っても、フツーのラッシュくらいの混み方でしたけど)

てっぺんに戻るぴよ


2003年 8月30日(土曜日)

第3回突撃お掃除大作戦に行って参りました。

きんさんは三鷹駅まで私を迎えにいらして下さり、

二人で掃除に必要なものをお買い物しながらきんさんの御邸宅へ向かいました。

 

お宅へ着いて掃除をしながら、きんさんは私が作った曲のミックスしたものを

聞かせて下さり、「この部分のアレンジはこのように致すが良いぞ」と、

丁寧にアドバイスをして下さいました。

温かいきんさんのお言葉のひとつひとつを、私は胸に刻み込みました。

 

今日のお掃除は、台所と玄関〜廊下を集中的にやりました。

きんさんは主に玄関を、私は台所を掃除しました。

昼過ぎから夜までぶっ続けでがんばったので、どちらも見違えるように綺麗になりました。

次週はきんさんのデスク周りの掃除をすることにしました。

 

きんさんは夜8時に吉祥寺で巨匠中田先生とお会いになるお約束がありましたので、

私もくっついて参りました。

なかなか来ない吉祥寺行きのバスを待っておりますと、

途中の武蔵野営業所行きのバスの運転手さんが、

「今日は吉祥寺行きがなかなか来ないから、営業所までタダで乗せてあげる」と

おっしゃって下さいました。

きんさんは丁寧にお礼を申し上げてそのバスにお乗りになりました。

おかげで、あんまり遅れること無く吉祥寺に着きました。

 

巨匠中田先生と合流すると、3人で居酒屋兼定食屋さんに行き、夕食をとりました。

きんさんはミニ会席弁当を召し上がりました。

きんさんはこれからのお仕事のビジョンを巨匠中田先生に御説明為さり、

巨匠中田先生も熱心に聞いていらっしゃいました。

 

しばらくすると河岸を変えて、ABCカフェでお茶を飲みました。

きんさんはバナナシェイクを御注文なさいましたが、

間違って違うものが来てしまいました。

きんさんはそのまま召し上がっていらっしゃいましたが、

ぷくぷくしたウェイトレスのコが、わざわざ申し出て取り替えてくれました。

そのコにお礼を申されて、きんさんは改めてバナナシェイクを召し上がりました。

また、きんさんはフライドポテトを私達にごちそうして下さいました。

店内には今時のダンス系の音楽がBGMでかかっていましたが、

日頃私が「ダンス系の音楽はなかなか難しいです」と、

申し上げていることを思い出して下さり、

かかっている曲のスタイル(ジャンル)や特徴について、あれこれと説明して下さいました。

 

そうこうしているウチに私の終電の時間がヤバくなってきましたので

おいとまと告げますと、ちょうどお開きと言うことになりました。

きんさんはカフェの代金をおごって下さいました。

巨匠中田先生と私は拝復してお礼を申し上げました。

 

店を出るときんさんは吉祥寺駅から下りの中央線に乗って、三鷹へとお帰りになりました。

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2003年 8月23日(土曜日)

突撃お掃除大作戦、パート2に行って参りました。

きんさんのお屋敷には3時頃に着き、早速掃除を始めました。

先週結構ゴミを整理しましたので、今日もその続きをしました。

 

ゴミがある程度片付くと、二人で力を合わせて

シンセサイザーやビデオテープの詰まった箱など、重い物を脇に寄せました。

おかげで大きなスペースが空き、かなり快適に座れるようになりました。

 

夢中で仕事をしていたので、気がつくと外もすっかり暗くなり、

おなかも大変空いてしまいました。

そこで、きんさんお気に入りのお粥屋さんへ行きました。

きんさんはいつものように月見牛肉粥を召し上がり、

つけあわせに大根スープと水餃子を注文あそばされました。

私は梅干しらす粥を食したのですが、あんまり美味しいので

きんさんにひとくち差し上げますと、きんさんは

「次に参らせし折に到れば、そを注文候へ」を仰せになり、結構お気に召した御様子でした。

 

お粥屋さんの御主人ともなごやかにお話になるきんさんは、

「この店をば、余のHPにて宣伝なむ致さん!」と、お約束をなさっていらっしゃいました。

 

店を出るときんさんは近くのブック○フヘお寄りになり、

ア○ツカフ○オの代表作のマンガを物色なさいましたが、

残念ながら見つけることは出来ませんでした。

 

古本屋を出たきんさんは、バスに乗る私を見送って下さり、

掃除が着実に進みつつある御邸宅へとお帰りになられました。

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2003年 8月18日(月曜日)

きんさんと一緒に某Cというゲームの音楽を作らせて頂いているのですが、

その製作をされている、某Sという会社に行って参りました。

 

「12時以降に」ということだったので、練馬の某E駅できんさんと1時に待ち合わせして、

昼食をとってから行きました。

喫茶店ゲなお店に入り、きんさんはほうれん草とコンビーフのパスタを召し上がりました。

 

2時頃に某S社さんに行き、製作中のゲームの音楽の最終的な詰めの打ち合わせをしました。

 

S社さんを出ると、きんさんはバスに乗って中野へ連れて行って下さいました。

中野についたきんさんは、まず電話局にいらして、ちょっとしたご用を済ませました。

その後、上野アメ横とアキバ萌えショップをいっしょくたにしたような、

世にも怪しげな店の連なるショッピングモールへ連れて行って下さいました。

あんまり面白いものがたくさんあるので、一日中居たいくらいでした。

 

モールを出たきんさんはコーヒーをお飲みになった後、

近くの本屋さんで「のだめ」の6巻と、「パタリロ西遊記」をお求めになられました。

 

そうこうしているウチに結構良い時間になりましたので、

きんさんはオレンジ色の憎い電車に乗って、お屋敷へと戻られました。

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2003年 8月16日(土曜日)

きんさんの御邸宅のお掃除をしに行きました。

夕方に嶽ちゃん&あくっちゃんと会う約束をしていたので、

午前中に家を出て、正午には三鷹に着きました。

きんさんちに伺う前に、駅前のドラッグストアで掃除用具を買い揃え、バスにのって行きました。

 

きんさんは、「かように散らかりし我が家なりせば、

掃除なりとて能わざらんや」と申され、本当に綺麗に掃除できるか御心配のようでしたが、

私は「いち時にて終わらせんとするは能わじと存じまするが、

少しづつ、確実にいたして行けば必ずや成れりと心得ます」と申し上げ、ちょっと弱気なきんさんを励ましました。

 

掃除をしながら大リーグ中継を見ていました所、きんさんの大好きなイチローが、

チャンスの場面で満塁ホームランを打ち、きんさんは大変感激していらっしゃいました。

 

さて、気合いを入れてガンガン片付けたので、2時間弱で結構ゴミをまとめることができ、

ちょっとおなかも空いたので、いつものバーミ○ンで遅めの昼ご飯を食べました。

きんさんは天津飯とアイスコーヒーを召し上がりました。

 

食事が終わると、お掃除を再開しました。

一区切りつけようとしたところで嶽ちゃんから電話が入り、

吉祥寺に着いたとのことだったので、急いでゴミのつまった袋を片付けて、

二人でバスに乗りました。

 

嶽ちゃん、あくっちゃんと合流すると、4人で定食屋で夕食をとりました。

きんさんは肉じゃが定食を召し上がりました。

次に、以前にきんさんに連れて行って頂いたことのあるカフェに移動し、

嶽ちゃんが今考えているとあるどでかいプランについて話合いしました。

きんさんは熱心にお聞きになった上で、嶽ちゃんのアイディアの弱点を御指摘になったり、

御自分のアイディアを御提案あそばしたりなさって、

嶽ちゃんと熱く語り合っていらっしゃいました。

また、あくっちゃんにも適格なアドバイスをなさいました。

きんさんの厳しいプロ意識と、冷静で現実的な視点を垣間見たような気がしました。

 

10時も過ぎて、店員さんの「そろそろ次の注文をするか、でなけりゃ帰ってくれ」光線を

感じましたので、そろってお店を出て解散しました。

きんさんは最終のバスに乗ってお掃除途中のお屋敷へと戻られました。

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2003年 8月13日(水曜日)

本日は本当ならきんさんの御邸宅をお掃除しに行く日だったのですが、

きんさんに急なお仕事が入り、M先生のお宅へ伺うことになりまして、私もご一緒させて頂きました。

 

M先生の家へ行く前に、早めにきんさんと待ち合わせをして、お昼ご飯を食べてから行きました。

きんさんは、おにぎり&豚汁セットとからあげ、そしてアイスコーヒーを召し上がりました。

 

M先生宅へ行くと、程なくプロデューサーのKさん及びシンガーのSさんが見えました。

今回のお仕事は短いジングルだったので、録音はすぐに終わり、KさんとSさんはお帰りになられました。

M先生はその後、別件の依頼の曲の録音をなさいましたが、

待ち合わせがあるとのことで、きんさんと私も連れて行って下さいました。

 

まず渋谷の喫茶店でI社長と合流し、「ある種のお芝居」を希望しておられる、

女の子の面接ゲなことをなさいました。

きんさんも私もそっちの方面は全く関係がないので、隅の方でご飯をおよばれしていました。

きんさんはえびピラフとアイスコーヒーを召し上がりました。

ちなみに、盗み見た感じではM先生はあまりそのコには食指は動かなかった御様子でした。

また、きんさんに至っては全くの論外と言った感じでした。

(きん萌え度:−850057)

 

それが終わると、M先生は以前に曲を提供なさった、

マ○シ・プ○ーストの来日公演(inブルーノート)にいらっしゃる御予定でしたが、

かなり時間があまっていたので、きんさんと私をパチンコに連れて行って下さいました。

M先生は私達の分も出して下さり、とりあえずみんなで5000円から始めました。

M先生は絶好調な御様子で、ガンガン出しておられました。

きんさんは調子が悪いような感じでしたが、最後になって確変をお出しになり、

たいそうお勝ちになりました。

ちなみに私は一瞬にしてM先生に頂いた軍資金をすってしまい、

仕方がないので自腹で打ちましたが、結局一回しか当たらず、

大変な損失を出してしまいました。

 

パチンコ屋を出ると、きんさんは買ったお金でM先生と私に

アイスクリームをごちそうして下さいました。

大金をすってブルーになっていた私は、涙を流して食べました。

M先生と別れると、きんさんはコーヒーを御所望され、

近くの喫茶店へおいでになりました。

そこで、きんさんは私の財布の中身をたいそう御心配され、

「かようなパチンコの負けは哀しかるらむ。余の儀にておぼしまつらめ」とおっしゃり、

私がパチンコですったお金を補填して下さいました。

私が固辞いたしますときんさんは

「ギャンンブルにて獲し金子なれば身につかぬが余の常と心得よ」と申されました。

私は拝復してそれを受け取り申し上げました。

 

今日はお茶はそこそこに切り上げ、きんさんは井の頭線でお屋敷へとお帰りになりました。

 

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2003年 8月2日(土曜日)

三鷹へ行って、きんさん、小林さん、のとさんとご飯を食べました。

午後3時頃にきんさんのお宅へお邪魔すると、

きんさんは今月6日からお仕事で九州へいらっしゃるとのことで、

私も連れて行って下さることになりました。

そのお仕事に私が一枚かんでいるからなんですが、

ついでに当地でギターも弾くことになりました(死)。

 

程なく小林さんが見えましたが、のとさんと連絡が取れないとのことでしたので、

とりあえず、いつものバー○ヤンヘ行っておやつを食べながら、

3人でお話をしました。

小林さんはちょっとした用事でつい昨日まで岐阜県にいらしていたそうで、

かの地の様子を面白く話して下さいました。

 

そうこうしているとのとさんがお見えになりましたので、

先日見つけたお粥屋さんへ行きました。

きんさんは、前回と同じく月見牛肉粥&大根スープを召し上がりました。

のとさんと小林さんは紹興酒もお飲みになりましたが、

きんさんは「御酒をたしなむは我が嗜好にこそ無からめ」と申され、

本日も、いつものようにアルコールは抜きでした。

 

お店を出るとみんなでブックオフを冷やかしに行きましたが、

私は終バスがヤバくなって来たので、すぐにおいとまをしました。

 

そんな訳で、6日からきんさんと九州へ行って来ます。

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2003年 7月31日(木曜日)

このところ、きんさんのお体の具合があまりよろしくないので

お見舞い方々三鷹のお宅へ行って来ました。

バイトが終わってから行ったので、着いたのは夕方の6時30分くらいでした。

今日はきんさんは調子がよい御様子で、バス停まで迎えにいらして下さいました。

とりあえず晩ご飯を食べることにしましたが、

体の調子を考えて、なにを食べるか迷いながら歩いておりますと、

ちょっと入り組んだ所に中国お粥のお店を見つけて、そこへ入りました。

 

どうやらちゃきちゃきの中国人の方が開いているお店のようで、

メニューは少ないながらも値段は安いわ、お店の雰囲気はよいわで、

きんさんは大変お気に召した御様子でした。

2人で「牛肉入り玉子粥」と「大根スープ」そして「水餃子」を注文しました。

ちょうどお客が少なかったからか、店のご主人が

きゅうりの漬け物をサービスして下さいました。

帰り際には、2人に一枚づつスタンプカードを下さいました。

 

しかし、そのお店ではコーヒーが飲めなかったので、

きんさん邸に行く途中にある、小さな喫茶店に寄りました。

きんさんが壁にかかっている珍しい小物に興味を示しておられると、

御年配のお店のマダムが、それらはみんなフランスから取り寄せたものだと教えて下さいました。

それからしばらくコーヒーを飲みながら、

マダムを交えてフランスはじめ海外旅行のことについてお話をしました。

 

それからすぐに閉店になってしまったので、

きんさんのお宅へお邪魔して、TVを見ながら他愛もない話で盛り上がりました。

 

そうこうしているウチに終電に時間もヤバくなって来たので、

私はバスに乗って帰途へつきました。

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2003年 7月21日(月曜日)

ミュージカル「ツインズ」で御一緒させて頂きました、

淡路恵子さんが御出演為さっておられる、NHK金曜時代劇「茂七の事件簿」が放送されていますね。

 

同番組の1回目の放送が先週だったのですが、その時はちょうど「ツインズ」の本番だったので、

きんさんは見ることが出来ませんでした。

そこで私が友人の尻野くん(仮名)に電話して、ビデオ録画をしてもらったのですが、

そのビデオを尻野くんが直接きんさんの家に届けると言うので、私も図々しくついて行きました。

 

尻野くん(仮名)とは12時に吉祥寺で待ち合わせて、

きんさんのお宅へ伺いました。

ちょうどお昼時だったので、3人で某ファミレスへ行き、お食事をとりました。

 

尻野くん(仮名)は、きんさんの大好きなYMOを最近よく聞いているとのことで、

そのお話を中心に大変会話が盛り上がりました。

 

食事が済んで、私が「バッティングセンターに行きましょう!」

と申しますと、お二人は機嫌よく付き合って下さいました。

きんさんは一度だけ打席にお立ちになりましたが、

「長きに渡り、野球なぞいたさざるべし。げにすさまじきかな」

と申され、ちょっとお疲れになった御様子でした。

 

私も尻野くん(仮名)もバットを振って汗だくになったので、

3人そろって銭湯へ行くことにしました。

きんさんはいつものように長い時間お風呂に浸かっていらっしゃいましたが、

尻野くん(仮名)と私はカラスの行水ですぐにのぼせてしまいました。

 

お風呂から上がると、きんさんのお宅でループシーケンサの操作を

色々と教えて頂きました。

毎回きんさんのお家に来ると勉強になります。

 

尻野くん(仮名)と私は10時頃きんさん宅を辞し、

バスに乗ってそれぞれの帰途へつきました。

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2003年 7月18日(きん曜日)

7月の19日に、大学時代に私が所属していた音楽サークルの

同窓会ライブがあるのですが、今日はその練習がありまして、

夜の9時から渋谷のスタジオに集合でした。

前の晩にきんさんにそのことを「めんどくせー」とグチりますと、

「我が館にて時間を潰すが最上の策であろう」とおっしゃって下さいました。

 

きんさんのお屋敷には、午後の2時30分頃にお邪魔しました。

きんさんはお体の調子も戻られたらしく、

先日お伺いした折よりもお元気な御様子でした。

 

きんさんはしばらく外にお出になっておられないとのことでしたので、

とりあえずいつものバーミ○ンヘ行き、食事を取りつつ

あれやこれやお話をいたしました。

 

私が、明日ライブをする処の音楽サークルが、

学生時代いかに厳しい部であったかと言うことを御説明申し上げますと、

(ウチのサークルはその厳しさから「歌う体育会」と呼ばれていた)

きんさんは「かように厳しきサークルなれば、バンドを楽しむこと能わず」と、

驚いていらっしゃいました。

 

そうこうしているウチに私は練習に行く時間になりましたので、

一度きんさんの家に寄って、渋谷へ向かいました。

帰り際に、きんさんは「トムとジェリー」と「トゥイーティー」の

DVDを合計4枚も貸して下さいました。

 

きんさんのお心づかいと、ご期待に答えるためにも、

明日のライブは適当に終わらせて、早くゲームの音楽を仕上げようと思いました。

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2003年 7月14日(月曜日)

ミュージカル「ツインズ」の神戸公演も無事終わり、

全ての日程を消化いたしました。

見にいらして下さった皆さん、本当にありがとうございます m(__)m

 

さて、そんな訳で今日はM企画さんに預けてある、きんさんの機材を取りに行きました。

本当はきんさんとM企画さんで待ち合わせるはずだったのですが、

家を出る前にきんさんに連絡した所、ずいぶんと具合が悪そうでしたので、

私が1人でM企画さんへ行き、機材を車につんできんさんの家まで行くことにしました。

 

機材と積み、きんさんの家に行くとちょうど午後7時頃でした。

きんさんは少し調子が良くなられたようで、起き上がっていらっしゃいました。

それでもやっぱり心配だったので、私は買って来た正露丸を差し上げました。

しばらくお話などしていましたが、きんさんがおなかが空いた御様子でしたので、

さっぱりした食べ物が良かろうと思い、うどん屋さんへ行きました。

きんさんはうどん梅雑炊を召し上がりました。

朝電話した時はとても具合が悪そうでしたが、

うどんを美味しそうに召し上がる様子を拝見して、私も安心いたしました。

 

食事が終わるとほとんど真夜中でしたので、

きんさん宅へ寄って「ツインズ」で使用した楽譜を受け取り、

私は帰宅の途に着きました。

途中で友人の尻野くん(仮名)から電話が入り、

きんさんは彼に「茂七の事件簿(淡路恵子さんが御出演)」を

ビデオ録画してくれたことのお礼を申しておられました。

電話のあと、きんさんは御親切にも、私が車をおいてある場所までわざわざ

見送りにいらして下さいました。

 

首都高速&京葉道路をぶっ飛ばしたため、1時間くらいで帰ることが出来ました。

きんさんが私の疲労を心配して下さっていたので、

「無事に着きました」と電話申し上げると、

きんさんは「かように疾く到着のこと、あたかも風のごとし」と

たいそう驚いておられました。

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2003年 7月7日(月曜日)

ミュージカル「ツインズ」の東京公演も終わり、

一応ひと段楽したと言うことで、吉祥寺バウスシアターでの

春風亭柳昇一門の落語会へ行きました。

 

御存じの通り、柳昇師匠は残念ながら先月お亡くなりになってしまいましたが、

今日の落語会は予定通り行われました。

亡くなった師匠の枠には、一番弟子の昔々亭桃太郎さんが出演されました。

 

きんさんとは、ぎりぎりまで行くのをどうしようか相談していましたが、

バウス落語会は今回でおしまいと言うことなので、

見届ける意味を込めて一緒に見に行くことにし、

2人ともほぼ開始の時間に会場に着きました。

以下、出演者とその演目です。

 

1:昔々亭喜太郎「手紙無筆」

 

2:春風亭鹿の子「太鼓腹」

 

3:春風亭柳好「半七、お花」

 

4:春風亭鯉昇「うなぎ屋」

 

5:春風亭昇輔 *南京玉簾

 

6:昔々亭桃太郎「裕次郎物語」

 

ステージの端に柳昇師匠の遺影がかかげられていたためか、

何となくさみしげな雰囲気であったことは否めませんが、

出演者の皆さんそれぞれが一生懸命高座を勤め、

たくさんの笑い声も上がっていました。

きんさんも楽しそうに聞いておられました。

最後は後援会長さんらしき方の音頭による三本じめでお開きとなりました。

 

会場を出てから、2人でなにか食べようと言うことになりましたが、

きんさんはあまりおなかの調子がよろしくなさそうでしたので、

こってりしたものは避けて、讃岐うどんやさんへ行きました。

きんさんはぶっかけにえび天を乗せて召し上がりました。

 

ゆっくりうどんを食べながら、10日の神戸行きの時間の確認をして、

きんさんはバスにのって三鷹へとお帰りになりました。

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2003年 6月15日(日曜日)

7月本番の、例のミュージカルのミーティングをいたしました in 下北沢。

ミュージカルはバンドの演奏をバックに歌が入りますので、

今日はバンドのメンバーの皆さんで話し合いをすることになったのです。

集合は夜の9時でしたが、きんさんとは早めに待ち合わせて晩ご飯を食べました。

きんさんはおにぎり&豚汁定食を召し上がりました。

 

9時に下北沢駅に行くと、ギタリスト中田さん、ピアニスト田中さんが

おいでになり、とりあえず近くの居酒屋へ入りました。

しばらくすると、ドラマーの尾曲さんがいらっしゃいました。

そこでミュージカルについての話し合いを手短かにした後、

みなさんで楽しく歓談いたしました。

きんさんはこの度の国会で成立しそうなとある法律の改正案に関して、

たいそう憤りを感じておられる御様子で、

とても強い口調で批判を為さっておられました。

物事を多角的に御覧になる、きんさんの人間の大きさを垣間見たような気がしました。

 

夜遅くの集合だったので私は終電がヤバいからとおいとまを告げたところで、

ミーティングもお開きとなってみんなでお店を出ました。

ドラマー尾曲さんはもう少しお酒を飲みたい御様子で、

ギタリスト中田さんを誘って二軒目に行かれましたが、

きんさんは御辞退為さって、井之頭線に乗ってご邸宅へとお帰りになられました。

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2003年 6月14日(土曜日)

そろそろ例の舞台公演のことについて打ち合わせないとヤバいってことで、

明日、楽器担当の皆さんも交えてミーティングをすることになりました。

そこで今日は、きんさんのお宅にお邪魔してその準備をしました。

 

3時頃にきんさんのお宅へお邪魔すると、

きんさんは私の為に仕事用の道具を色々と御用意して下さっていました。

また、例の舞台の過去のビデオをダビングして下さいました。

ダビングには少々時間がかかるので、お食事に行きました。

いつものバー○ヤンで、きんさんは麻婆豆腐定食を召し上がりました。

お飲物は基本のアイスコーヒーでした。

 

きんさんはお食事を終えると、17日のTV出演の際に、

何の曲をスタジオライブで演奏しようかと悩んでおいででしたので、

私も一緒に考えました。

その時の話の流れで、なんと私も出演させて頂くことになってしまいました。

あまりの恐れ多さに恐縮しながらも、きんさんの男気に感謝しつつ、

ありがたく演奏させて頂くことにしました。

 

お食事が終わるときんさん宅へ戻って、

きんさんのお使いになっておられる音楽ツールの使い方を教えて頂きました。

一段落ついたところできんさんは銭湯に誘って下さいましたが、

今日の所はひとまず固辞いたしまして、早めに帰途につきました。

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2003年 6月10日(火曜日)

7月に公演が予定されている、とある舞台の打ち合わせの為、

田町にあるM企画さんへ行って参りました。

きんさん、ギタリスト中田さんと落ち合った上で、昼ご飯を食べてから行きました。

きんさんは「いと辛き食事は好むにあらず」とおっしゃりながらも、

「チキン照焼き粒マスタード風味」を召し上がりました。

 

M企画さんでは、本日は出演者の皆さんも交えてのミーティングが行われました。

演出家Sさんのお話の後、出演者の方々のキー(音域)合わせも行いました。

きんさんはそれぞれの方の音域を確かめるため、

ピアノをお弾きになって、丁寧に確認を為さっておられました。

 

その後、ギタリスト中田さんは別の用事があって離脱なさいましたが、

きんさんと私は少し残ってSさんと演目の曲について詳しくお話をしました。

 

M企画さんを辞すると、きんさんは次のお仕事(TV出演)がありましたが、

まだかなり時間がありましたので、放送局のあるアキバで時間を潰しました。

主に音楽の機材を置いてあるお店を回ました。

ひと休みした喫茶店で、きんさんはプロとしての心構えや、

仕事をどのように取るか、どのようにこなすか、と言った、

大変大切なお話をたくさんして下さいました。

私は、いつかはきんさんの御面倒をかけること無く、

自分の手で仕事をとったり、

こなしたりして行かなくてはならないのだと言うことを再認識しつつ、

一生懸命聞きました。

 

さて、今日のTVにはギタリスト中田さんと、

ヒットメイカーサウンドチームの皆さんも御出演為さると言うことで、

まずはギタリスト中田さんと再び待ち合わせをし、

然る後に、HIRO師匠&光吉さんとも合流しました。

(福山さんは少し遅れていらっしゃるとのことでした)

私は時間的に帰らないとその放送が見られないので、

皆さんにお別れを申し上げて家路につきました。

きんさん始め出演為さる方々は、今日の放送に備えて

腹ごしらえをしにお食事へ向かわれました。

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2003年 5月25日(日曜日)

新宿で行われた、嶽さんのライブへ行って参りました。

出がけにきんさんにお電話した時には、連絡が取れませんでしたが、

御親切にもきんさんは留守電にメッセージを入れて下さっており、

無事に新宿で合流することが出来ました。

今日はきんさんと御一緒にさるお方もお見えでした。

 

さて、会場の入り口に着くと、いつものようにあくっちゃんと

本番を前にガッチガチに緊張している嶽さんがおられました。

また、先日のりあんさんのライブでお知り合いになった、玉木さんもおいででした。

きんさんは固くなっている嶽さんの心をほぐそうと、

色々と話し掛けたりして、リラックスさせてあげていらっしゃいました。

私もきんさんの男気を見習って、嶽さんをリラックスさせようと

「遠ぼえ〜お笑い芸人修行バージョン(嶽さんの曲の替え歌)」を歌って、

嶽さんを元気づけようとしましたが、かえって気分を害してしまったようで、

全くの逆効果になってしまいました。

 

本日のライブハウスは嶽さんにとっては初めての場所であり、

しかも出番も一番最初ということもあって、

いつもより緊張の度合いが大きかったようでしたが、

きんさんを始め取り巻きの皆さんの盛んな声援によってエンジン全開となり、

大盛況のうちに幕となりました。

 

2番目の方はピアノ弾き語りの女性のシンガーの方でしたが、

正直、静聴に耐えうる出来とは言い難いものだったので、

「オレ的に30点(赤点)です」と、紙に書いて我が師、きんさんにお見せした所、

きんさんも同じように感じておられたらしく、

「これ以上は聴くに及ばず」とおっしゃいましたので、

その方のステージが終わってから、みんなで外に出ました。

きんさんは、しばらく会場の外で嶽さんに色々と音楽的なことや、

ステージングについてなど、お気のつかれたことを的確にアドバイス為さっておられました。

そして、嶽さん、あくっちゃんにお礼を申し上げて、

きんさん、さるお方、玉木さん、私の4人は会場をあとにしました。

 

一旦玉木さんと私はきんさんたちと別れて食事をとっていましたが、

恐れ多くもきんさんが「カラオケボックスにて待ちにけり」と御連絡を下さったので、

ずうずうしくもお邪魔をさせて頂きました。

私達が着いた後のきんさんは、

「we Are The Warld(U.S.A. for アフリカ)」、「Neo Universe(ラルク・アン・シエル)」、

「マジ漢字書けない(ダンスマン)」、等をお歌いになられました。

さるお方はサイバーフォーミュラやエヴァンゲリオン等の、

アニメソングを中心にお歌いになられました。

時間も迫って来たところできんさんは、

「その方のデータをば作りし曲ぞ聴かん!」と仰せになられ、

私が先日仕事で作らせて頂いた、

「いつかきっと!」という曲を入力して下さいました。

歌はさるお方が丁寧に歌って下さいました。

きんさんはその曲を聴きながら、私の作ったデータをたいそう誉めて下さいました。

さるお方も「本物そっくりです」とおっしゃって下さいました。

私は大変嬉しく思いながらも、これに満足することなく、

一層精進してもっともっときんさんに近付けるようにがんばろうと決意を新たにしました。

 

きんさんは御親切にもカラオケ代のほとんどを出して下さいました。

私はきんさんに感謝の言葉を述べつつ、JRの駅でお別れいたしました。

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2003年 5月23日(きん曜日)

某M企画さんが主催為さる、とある公演のお仕事で、

きんさん、ギタリスト中田さんと一緒に田町まで行って来ました。

3人で少し早めに待ち合わせて、お昼ご飯を食べました。

きんさんはオムシチューを召し上がりました。

お会計の時に、きんさんは我々2人の分も出して下さるとおっしゃいましたが、

ギタリスト中田さんと私は「かように恐れ多きことにぞ、はなはだ憚られはべり」と、

激しくお断りして、わりかんにしました。

 

さて、M企画さんに今月はじめに伺った時はガイドラインだけでしたが、

今日は演出家のSさんがお見えになられて、

舞台演出に関する詳しいお話を伺いました。

幸い、敏腕プロデューサーのOさんが、前回使用した楽譜を

見つけて下さったので、きんさんはホッと胸をなで下ろしました。

演出家Sさんとの打ち合わせはスムーズに進み、

きんさんも突っ込んだ所を色々と御質問為さっておられました。

打ち合わせが終わるときんさんは、Sさん、Oさんを始め

M企画さんの皆様にも丁寧にご挨拶を為さって、おいとまをされました。

 

時間的にはまだ少し早かったので、3人で某Dでお茶を飲みました。

きんさんはロイヤルミルクティーを召し上がりました。

「この程度のものなれば」ときんさんが仰せになられましたので、

その場は2人しておごって頂くことにしました。

きんさんはギタリスト中田さんと、このお仕事に関するお話を

真剣に為さっておられました。

私も譜面を一部頂いたところで、

日曜日に行われる嶽さんライブのチケットをきんさんにお渡しして、

本日の所はひとまずお開きになりました。

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2003年 5月18日(日曜日)

昨日、我が師きんさんがお電話を下さり、

昨年夏のきんさんライブやM先生のミュージカルで素晴らしい演奏を披露なさった、

キーボード田中さんのバンドのライブに行こうと誘って下さいました。

 

きんさんとはライブハウスのある渋谷の駅前で待ち合わせをしました。

ライブまでには少し時間がありましたので、近くのラーメンやさんで食事をしました。

きんさんは長崎チャンポンとチャーハンのセットを注文なさいましたが、

ものすごい量だったのでさすがに完食できませんでした。

 

さて、会場に行くと田中さんが玄関の所にいらしたので、

きんさんはご挨拶を為さり、近況などを報告しあってから中へ入りました。

きんさんは御親切にも私の分のチケット代を出して下さいました。

私は、この御恩には必ずお仕事でお返しをせねばならぬと、固く心に誓いました。

 

今日の出演バンドは3バンドでしたが、

入った時はちょうど一番最初のグループが終わったところで、

ほどなく田中さんのバンド「キミ−・バンド」の演奏が始まりました。

田中さんがキーボードとベースパートを弾き、

あとはドラム、ギター、女性シンガーさん&2人の女性コーラス、

という構成のグループで、オリジナルのファンクっぽい曲を演奏なさいました。

曲もカッコよかったし、演奏がまた素晴らしく上手くてびっくりしておりますと、

きんさんも「かようにバリテクの方々にてもプロにあらぬことぞ驚かれぬる」と申され、

演奏技術の高さに舌を巻いていらっしゃる御様子にお見受けいたしました。

 

最後のバンドは「LIFE!」という、どなたかのアルバムタイトルにあったかのようなバンドでしたが、

こちらもまた素晴らしく上手い&曲がかっこいいバンドで、

全く顔見知りでも何でもないのにも関わらず、

きんさんも私もしきりに声援を送ったり、手拍子をしたりして楽しんでおられました。

 

ライブが終わるときんさんは、控え室でお休みであらせられた、

田中さんにご挨拶を為さって、会場をあとにされました。

そして、しばらくマクダーナーズ(アメリカ人はこう発音する)でお茶を飲み、

今日のライブの感動の余韻に浸ってから、

きんさんは井之頭線に乗って御自宅へとお帰りになられました。

てっぺんに戻るぴよ


2003年 5月7日(水曜日)

のっけから私事で恐縮ですが・・・・

今日、朝目覚めると体の異常なだるさを感じました。

また、背筋に強い悪寒があり、頭のみならず節々の関節にも

ズキズキするような痛みがありました。

経験上、「これは熱があるな・・・」と思いました。

はかって見ると、果たして38・5度の熱がありました。

一日中、そんな状態できんさんのお仕事に同行させて頂いたので、

今日の日記は話や出来事の内容、順番に不正確なところが多いと思いますが、

御容赦願います m(__)m

 

さて、今日はきんさんが誘って下さったお仕事の打ち合わせがあり、

ギタリスト中田さんと3人で、田町の某M企画さんに伺いました。

M企画さんの担当の方は敏腕プロデューサーのOさんで、

きんさん、中田さんとは以前にお仕事をご一緒された方です。

Oさんは今回のお仕事について丁寧に説明して下さった後、

近所の喫茶店でお茶をごちそうして下さいました。

 

Oさんにお礼を申し上げてM企画さんを辞すると、

中田さんはご用事があるとかで、下北沢に向かわれました。

きんさんはその後、某S社さんにおいでになる予定がありましたので、

2人で京急に乗って大鳥居に向かいました。

 

待ち合わせのレストランに行くと、

光吉さんと一緒に歌姫大石さんがお見えでした。

きんさんは光吉さんとお仕事の打ち合わせを熱心に為さっておられ、

大石さんとも情報交換などを為さって、

楽しくお茶を飲んでおられました。

充実の話し合いを終えたきんさんは8時頃に大鳥居を辞し、

三鷹への帰途へつきました。

てっぺんに戻るぴよ


2003年 5月4日(日曜日)

恒例の嶽さんのライブへ行きました。

ライブは2時からでしたが、蒲田で開催されるM3と言うイベントに

きんさんが作品を提供されたサークルが出展されておるとのことで、

午前中はそちらへ行きました。

きんさんは以前の同僚である横山さんを、私の方は友人の尻野君(仮名)を、

それぞれ伴って合流しました。

 

M3は、昨年「萌え燃え音樂堂」で参加したことがありましたが、

その時よりも人の出足がよろしいようで、

きんさんは「我等の出展せりし折よりも、盛り上がりの由、よろこばしけれ」とおっしゃいました。

 

確かに参加サークルの音楽のジャンルの幅も広がっているようでした。

きんさんと横山さんは主にオールドゲームの音楽をアレンジした作品を

お目当てにしておられたようで、それ系のブースを中心に見ておられました。

また、きんさんが自身が参加されたサークルにもごあいさつをしにおいでになられました。

その後、きんさんは興味を持たれた作品を精力的に試聴なさいました。

その中で、オリジナルのエスニック系ポップスをやっているユニットに興味をお示しになり、

CDを御購入為さっておられました。

その他にもオールドゲームやギャグ系のものなど、

たくさんのお買い物をなされたきんさんはことのほか上機嫌であらせられました。

横山さんも尻野君(仮名)も、良い買い物が出来たようで、

喜んでおられました。

 

そしてお昼頃に蒲田から渋谷へ移動し、嶽さんのライブへ突入しました。

嶽さんは久々のトリと言うことで少し緊張しておられる御様子でしたが、

きんさんや阿久津さんが客席からさかんな声援をお送りされると、

どんどんエンジンがかかって来たようで、

いつものようにノリノリのステージを見せて下さいました。

そんな取り巻き軍団の盛り上がりに押されたように、

他のお客さんも手拍子をしたり歌ったりと、

異常な興奮に包まれて行き、そのライブハウスにしては異例の

アンコールまで飛び出すと言うヒートアップぶりで、

熱狂のうちにライブは終わりました。

きんさんはライブの間中ずっと声援を送ったり拍手をしたりして、

嶽さんのライブを盛り上げつつ、御自身も大変楽しんでおられる御様子でした。

 

ライブ後はきんさんはじめ我々4人と、阿久津さんのお友達のみなさん、

そして主役の嶽さんの総勢9人で打ち上げをしました。

嶽さん曰く「珍しく男ばっかり」の打ち上げでしたが、

意外にも下ネタ話は少なく、むしろ

人生論みたいなマジメな話で盛り上がり、

あまりの白熱ぶりにお店の人にしかられるほどでした。

きんさんはアイスコーヒーを美味しそうに飲みながら、

嶽さんの素晴らしいライブの余韻に浸っておられました。

 

打ち上げは6時頃にお開きとなり、

恒例の「嶽ちゃんファイト」で解散となりました。

きんさんは横山さんと一緒に井之頭線で帰途へおつきになりました。

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2003年 4月11日(きん曜日)

しばらくきんさんはライブの準備で忙しく、私の方も

カラオケの仕事で時間が取れず御無沙汰しておりましたので、

昨日ごあいさつがてらお電話してみますと、

きんさんは新しいお仕事が入ってまたもお忙しい御様子でした。

それでもきんさんが「見えられよ」とおっしゃって下さったので、

本日、三鷹のきんさんのお屋敷にお邪魔しました。

 

お昼過ぎに着くときんさんは作業中であらせられましたが、

程なく終了され、ご依頼主の某T社さんへ御連絡をなさいました。

今日出来上がったのは、先日シャングリラさんで歌録りをしたゲームの

BGMなどで、その全てを私に聞かせて下さいました。

 

いつもながらひとつのアイディアから

たくさんのアレンジを作り出すきんさんの魔法に感動しつつ、

私もきんさんの感性のひとかけらでも学び取ろうと

一生懸命聞きました。

 

その後、きんさんは現在御愛用のシーケンスソフトの使い方や、

便利なプラグインを教えて下さいました。

お礼に私は、前々からきんさんが「聴かんと欲す」と

仰せであられたCD(ラフマニノフとイングヴェイ)を

差し上げました。

 

そうこうしていると夕方も遅い時間になったので、

バーミヤンへお食事に行きました。

きんさんは天津飯をお召し上がりになりました。

バーミヤンでは、これからのきんさんのお仕事のスケジュールや

2人で秘かに計画しているとある作戦について話しました。

 

ゆっくりと食後を過ごし、私は9時過ぎに

きんさん宅を辞し、週末の酒臭い電車に乗って千葉へ帰りました。

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2003年 4月5日(土曜日)

有明で行われた、ゲームジャムでの”H”さんのライブにゲスト出演される

きんさんのご勇姿を拝見しに、友人の尻野君を伴って行きました。

会場に着くと、ちょうど”H”さんのライブが始まったところでした。

入り口近くに某Iさんがおられたので、ごあいさつ申し上げると

「今日は大石さんが『モバッてますか』を歌いますよ♪」と、

早くもとっておきの隠しネタをばらして下さいました。

ステージ上では光吉さんがカッコよく熱唱しておられ、

HIRO師匠がシンセ、福山さんがトランペット&ドラムパッドで

演奏を力強く支えておられました。

そしてわれらがきんさんは、御愛用のリモートシンセを抱えて

ノリノリの演奏を為さっていました。

3曲目あたりでPA周りにトラブルがあったようでしたが、

そこは百戦錬磨の光吉さんの機転と、観客の皆さんの温かいサポートで

難なく乗り切っていらっしゃいました。

きんさんはいつものように楽しそうにシンセを弾いておられ、

周りの皆さんとの呼吸もばっちりでした。

そして「モバッてますか」の演奏から大石さんが加わり、

きんさんと光吉さんはコーラス&バックダンサーを勤めました。

振り付けはきんさんが考えたとのことで、

たいへん楽しい踊りでしたがあんまり動きが激しいので

ほんの少しきんさんのからだが心配になりました。

 

しかしそんな危惧をよそにライブは熱狂のうちに終わりました。

そしてライブ中に電源を切っていた携帯を起動したところ、

きんさんから「たばこと缶コーヒーをお持ちになられよ」との

指令が留守電に入っていたので、近くのコンビニで調達して

会場に戻りました。

すると控え室の近くお父君Tさん(仮名)とさるお方がいらっしゃいました。

お父君Tさん(仮名)に尻野君(仮名)をお引き合わせしていると

きんさんが控え室から出ていらしたのでタバコとコーヒーをお渡しし、

きんさんが片付けが終わるまで4人で外で待つことにしました。

待つ間、4人でなぞなぞ等をしておりますと程なくきんさんがおいでになられ、

4人でセルフうどんを食べに行きました。

行く途中で、一足先にお帰りになられる福山さんにばったり会ったので、

ライブのねぎらいとごあいさつを申し上げました。

 

さて、きんさんは「ライブ直後にて食欲のわく道理にあらず」と申されましたが、

きんさんの食生活を心配するお父君Tさん(仮名)がうどんとミニカツ丼を

おごって差し上げており、きんさんも少しづつ食されました。

しばらくしてきんさんは”H”の皆さんにごあいさつをしに中座されましたが、

すぐに戻って来られて、皆さんの打ち上げに同席するようにおっしゃて下さったとのことで、

みんなでお邪魔することにしてそのお店に行きました。

きんさんは珍しくワインでほろ酔い気分でイイ感じでした。

途中から西村さん(前説職人)も加わって、楽しい打ち上げとなりました。

きんさんは今日のライブの話や、以前に参加されたゲームの裏話等で、

とても楽しそうにお話を為さっておられました。

 

そんな楽しい時間はあっという間に過ぎ、

きんさんはさるお方と、お父君Tさん(仮名)の運転する車で帰途につきました。

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2003年 3月11日(火曜日)

友人の尻野君(仮名)と秋葉原で会う予定がありましたので、

きんさんもお誘いしてみたところ、おいでになることになりました。

ただし、午後に某T社さんへ行く予定がおありだとのことで、

合流はその後でということになり、それまで私と尻野君(仮名)の2人で

楽器屋やオタショップめぐりをして過ごしました。

そうこうしている内にきんさんがいらっしゃいました。

さるお方も某T社さんへ同行されたようで、一緒にお見えになりました。

夕方遅い時間だったので、そのままご飯を食べに行きました。

きんさんはカツ丼をお召し上がりになりました。

久々の再会ということで、特にきんさんと尻野君(仮名)の間で会話が弾んでおりました。

特にスタインバーガーというベースの話や、ソフト音源の話などで盛り上がりました。

ご飯が済むと、今日はそのまま解散となりました。

きんさんは借りた車で来られたとのことで、珍しく電車に乗らずに御帰宅になりました。

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2003年 3月8日(土曜日)

渋谷で行われた、嶽さんのライブへ行って来ました。

きんさんとはKEY楽器の前で待ち合わせしました。

私は前回道に迷ってしまったので、少し早めに行ってお店の中を物色していました。

程なくきんさんはお見えになられ、前回と同じくさるお方を伴っておられました。

嶽さんのステージまでには少し時間があったので、3人でランチを取りました。

食事をとりながらきんさんは

「充分な食事こそ、声の体力をつけるに第一と心得よ」と、

さるお方に御助言あそばしておられました。

 

さて、嶽さんのライブは前回にも増して素晴らしいものでした。

きんさんは前の方の席にお座りになって、声援を送ったり一緒に歌ったりなさいました。

楽しいライブでしたがあっという間に終わってしまったので、

きんさんは「かくのごとく短きライブでは、もの足りぬと存じてしかるべし。

さればこそ、次回は二枠取りてなむより多き曲聴かせしむること欲して憚らぬ」と、

もっと嶽さんの歌を聞きたいと短い時間で終わったライブを残念がっておられました。

ライブ後は前回と同じくビールバーへ行って打ち上げをしました。

嶽さん阿久津さんと、舞台女優のHさんもお見えになりました。

いつものように最も雄弁な話し手は嶽さんでしたが、

きんさんも相づちを打ったり御意見を述べたり為さりながら、

楽しい時間を過ごしました。

宴もたけなわとなったところで、次回のライブの期待を込めて

「嶽ちゃんファイト」でお開きになりました。

てっぺんに戻るぴよ


2003年 3月4日(火曜日)

本日は私の用事でひとりでシャングリラさんへ行き、

そのあときんさん宅へお邪魔しました。

先日歌録りをした、ゲームのテーマ曲に

中田さんがギターを入れるとのことで、きんさんが

「そちも我が館にて同席をするがよろしかろう」とおっしゃって下さったからです。

昨日はM先生つながりのレコーディングがあるとのことだったので、

さぞお疲れのことだろうと思っておりましたところ、

上手いタイミングで帰って来られたようで、思いのほかお元気であらせられました。

私が着くときんさんは、

「常ならば好む作曲家にあらねども、この曲なむ認むるにしかず」と、

千住明の「映像の20世紀」という、TV番組のサントラを聞かせて下さいました。

私はそれを聞きながら、中田さんがギターを弾きやすいようにと

お部屋をほんの少し掃除しました。

 

中田さんは夜遅くにいらっしゃる予定でしたので、

2人で外へ出て古本屋さんに行きました。

きんさんは主にCDを見ておられ、そのうちお気に召した物を2枚ほどお求めになりました。

私は音楽の本のコーナーをずっと見ていましたが、

近くに音楽大学があるだけあって、

さすがにかなり本格的な楽典や声楽などの分厚い本がたくさんありました。

次にきんさんはまたまた私をお風呂屋さんへつれて行って下さいました。

お風呂を出たところで中田さんに電話してみると、

ちょうどご飯を食べていらっしゃるところだったので、

私達も食事をとることにしました。

いつものバー○ヤンで、きんさんは野菜炒めライスをお召し上がりになりました。

程なく中田さんが見え、3人できんさんの邸宅ヘと向かいました。

久しぶりの中田さんは髪を切ってさっぱりと男ぶりをあげておられました。

きんさん宅へ着くと中田さんは早速弦を取り替え始め、

かたやきんさんはギター録音用のカラオケをお作りになりました。

そうこうしている内に結構いい時間になってしまいましたので、

後ろ髪引かれる思いを残しつつ、私はおいとましました。

帰りにバス停前のセ○ンイ○ブンをのぞくと、

ベーシスト菊地君がバイトしてたので、

「バイトがはけたらきんさん宅へおいであそばしませ」と、お勧めして

帰途につきました。

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2003年 3月1日(土曜日)

きんさんは先日来某社の新作ゲームのテーマ曲を作っておられましたが、

それが完成しましたので本日はスタジオシャングリラさんで

歌の録音をしました。

某社さんのご意向により、複数の女性シンガーのかたに歌って頂くことになり、

のみならずデモCDのきんさんの仮歌をお気に召した製作サイドのかたが、

「きんさんバージョンも欲しい」とおっしゃったとのことで、

計三人分のレコーディングとなりました。

 

スタジオには午後1時に集合となっていましたので、

間に合うようにと原宿に着きますと、駅の出口の所で

きんさん始め某社の方々3名様、そして歌い手さんのひとりであるさるお方が

ちょうど待ち合わせに集合なされたところでした。

その場で名刺交換会と相成り、それが済むと一行はぞろぞろとスタジオへ向かいました。

スタジオにはすでにエンジニアの手塚さんがスタンバイしておられ、

また、もうひとりの女性シンガー、Y姫様もお見えになられていました。

 

きんさんは手際よく手塚さんと打ち合わせを為さり、

本日は女性シンガーのお二人には同じ曲を3曲づつ、

キーの確認をしながら歌って頂くことや、

きんさん御自身も歌入れを為さることなどをお伝えになりました。

 

女性お二人が歌われておられる時には、

きんさんは手塚さんの横に座って録音の様子を聞きながら、

歌い方や音程のチェックをなさいました。

また某社の皆様や手塚さんにも意見を求められて、

御自分の意見だけで強引に押し切ったりすることのないように、

しきりに気を配っておいででした。

 

きんさんは3曲の内1曲のみ歌入れをなさいました。

その時は私がきんさんのおられた席に座って、

きんさんの歌にチェックを入れる役をさせて頂きました。

私はきんさんを見習って、皆さんの御意見をなるべく伺うようにと

注意したつもりでしたが、

ともすると自分の意見を押し付けがちになってしまって

(つーか、きんさんの曲なのに!!  (≧▽≦))

「私はまだまだきんさんには遠く及ばない」と、新たな精進を心に誓いました。

私のヘコヘコな歌唱指導にもかかわらず、きんさんの歌は大変良い感じに仕上がり、

また女性陣お二人の歌もそれぞれとても綺麗に出来上がりました。

手塚さんに皆さんの歌が入ったCDを焼いて頂いたところで、

きんさんは手塚さんに丁寧にお礼を申し上げて、家路につきました。

 

外へ出て携帯の電源を入れるとM先生から留守電にメッセージが入っていたので、

びっくらこいて電話してみますと、ちょっと怒りぎみの口調で

「きんちゃんと連絡が取れないんだけどさー」と申されました。

慌ててきんさんに電話を取次ぎますと、何やらお仕事の話のようでした。

電話を切ったきんさんに内容をお尋ねしますと、

どうやら月曜日にさる曲のレコーディングが入ったとのことでした。

「準備の為、本日は徹夜にならんと思われ」と宣うきんさんの表情は、

いつになくうぐぅな感じでした。

そんなきんさんを励ましつつ、土砂降りの原宿駅で解散となりました。

てっぺんに戻るぴよ


2003年 2月28日(きん曜日)

前々からきんさんと「こぶ平の落語が見たい」と話し合っておりましたところ、

新宿末広亭の2月下席に出演しており、しかもトリだということで

きんさんも私も予定をなんとか都合をつけて見に行きました。

前回のバウスの時と同じく、のとさんをお誘いしました。

待ち合わせは新宿駅に2時30分でしたが、全員早く着いたので

早めに寄席に入ることが出来ました。

入った時は昼の部仲入り前の柳家権太楼さんの高座でした。

仲入りにきんさんはのとさんを誘って、巻寿司弁当を召し上がりました。

私は朝も昼も食べて来たので、ドーナツを買い、

きんさんとのとさんに分けて差し上げました。

末広亭は昼・夜入れ替え無しなので、3人でぶっ続けで落語を鑑賞しました。

落語以外のいわゆる「イロモノ」では

きんさんは特にじょんから漫談の太田家元九郎、

紙切りの林家正楽が特にお気に召した御様子でした。

お目当てのこぶ平は(私にとっては)意外にも人情話を演じましたが、

これが大変素晴らしく、きんさんも「本日は収穫多きことかくのごとし」と

とても上機嫌であらせられました。

寄席を出るときんさんは「肉を食さんと欲す」と申され、

3人で地下街にある洋食屋さんゲなレストランへ入りました。

きんさんはハンバーグとカレーが一緒になったプレートを注文されました。

そしてみんなで今日の落語の感想や、最近のゲームについて、

あるいはお仕事の話などをしながら楽しくお食事をしました。

きんさんは明日はスタジオで歌録りのお仕事があるということなので、

私もお邪魔させて頂くことにして、10頃に解散となりました。

てっぺんに戻るぴよ


2003年 2月24日(月曜日)

昨日、「きんさんどうしてるかなー?」と思って電話したところ、

きんさんはことのほかごきげん麗しく、

お宅に御招待して下さいましたので、遠慮なくお邪魔することにしました。

細かい雪が降って寒い日でしたが、正午過ぎに到着しましたので

2人でバーミ○ンに昼食をとりに行きました。

きんさんは好物のチャーハンをメインに、温かいスープなども召し上がりました。

お話によると、きんさんは現在担当されておられるゲームの音楽製作が

佳境に入って居られるらしく、お店にいてもあちこちから電話が入ったり、

きんさんから連絡を入れたり為さっていました。

食事が終わってお宅に戻ると、

きんさんはそのゲームのOPおよび2曲のEDテーマの計3曲を聞かせて下さいました。

どの曲も随所に「きんさん節」をかいま見せつつも、

アレンジに新たな試みが感じられて、私は心中深く感激しました。

次に私は先日Yさんから依頼されて作った、

カラオケデータをきんさんに添削して頂こうと思い、

お持ちしたデータをお渡ししましたが、

どうやらフロッピーを焼きミスったようで読み込めなかったので、

帰ってからメールでデータをお送りすることにしました。

またきんさんは、最近仕入れたソフトサンプラー音源や、

シーケンスソフトの機能を詳しく説明して下さいました。

業界では「音楽やるならMac!」という凝り固まった思想があるようですが、

実はWINDOWS用のソフトの方が使い勝手が良くて、

種類もたくさんあるし、何よりフリーが多いと言う利点が有るということを、

きんさんのおかげで再確認することができ、

改めて私はきんさんに感謝いたしました。

(ちなみに私は両刀使い)

そうこうしていると、きんさんの歌のお弟子さんのさるお方から、

「レッスンをつけて欲しい」との連絡が入り、きんさん宅へおいでになることになりました。

私は邪魔になると思いおいとましようとしましたが、

きんさんが「そちもここに居て意見を述べてしかるべし」と仰せになられましたので、

ずうずうしくも見学させて頂くことにしました。

きんさんがさるお方を迎えにいかれている間に、私は

お部屋をほんの少し掃除しました。

間もなくお二人はお戻りになられ、

きんさんのお作りになった最新ゲームのエンディング曲でのレッスンが始まりました。

きんさんはさるお方のフレーズ頭でのクセや、伸ばす所での音程のブレを御指摘になったり、

また、感情を込めて歌うことの重要さなどを丁寧に御説明なさったりしました。

私は「そういえばM先生も歌唱指導の時に同じようなことをおっしゃっていたなぁ」と

思いながら拝見していました。

きんさんから意見を求められた時は、私は本で読んだ発声法の理論などを

少し御助言申し上げました。

しばらく歌っていると、きんさんの指導のおかげでさるお方の歌は

見る見る上達していくのが分かりました。

今日のお歌は録音してデモとしてさる所へお持ちになるとのことでしたが、

この調子でいけばきっとナイスな出来に仕上がるに違いないとの思いを胸に、

私はひと足お先にきんさん宅を辞しました。

今日もまた、たくさんのことを勉強させて頂いた三鷹詣ででした。

てっぺんに戻るぴよ


2003年 2月12日(火曜日)

昨夜、シンガー嶽さんと電話で話しているウチに会おうぜということになり、

きんさんも合流して頂くことにしました。

嶽さんがアキバで会うことを希望されましたので、

正午過ぎに待ち合わせることにしました。

また、急きょ阿久津さんも見えることになりました。

私が一番乗りでしたが、嶽さんが来たあとは、

ふたりで喫茶店に入ってきんさんと阿久津さんを待ちました。

2週間ぶりのきんさんは、髪を切ってさっぱりされていました。

4人集まったところで場所を替えてチムニーで昼食をとりました。

きんさんはミニカツ丼とミニうどんのセットを召し上がりました。

食後はM先生宅での苦労話や、4人の共通の知人の話題で盛り上がりました。

午後にきんさんは打ち合わせの為にT社さんへおいでになる用事があったので、

残りの3人でお店めぐりをしながらきんさんのお戻りを待つことにしました。

嶽さんと阿久津さんはガン○ムが大好きだとのことでしたので、

秋葉原デパートとアソビットシティのプラモ売り場を案内してあげました。

ふたりとも大変お気に召した様子で、私よりも長い時間物色していました。

阿久津さんは用事があってその時点で別れましたが、

間もなくきんさんがアキバに戻って来られました。

また3人で喫茶店に入って、色んな話をしました。

ちょうどガンプラの話題になった時に、きんさんがガンプラマニアでも有名な

グラフィッカーのKさんのことをお話になると、

偶然にもそのKさんから電話が入り、Kさんもいらっしゃることになりました。

Kさんは現在とあるゲームの製作に関わっておられるとのことでしたが、

外注に出したサウンドの出来に不具合があったため、

本来であればやらなくてもいいサウンド処理の作業もしなければならず大変そうでした。

常に完璧な仕事を目指しておられるきんさんは、

「そんな手抜きの仕事でも良いんですかねぇ?」と、首をひねっておいででした。

私は、仕事の手を抜くということはKさんのような畑違いの方々に

大変な御迷惑をおかけするのだということを再認識し、

またゲームサウンドの仕事を頂いた時もきんさんを見習って、

完璧な仕事を目指そうと気持ちを引き締めました。

楽しくお話をしているウチに時間はあっという間に過ぎ、

10時を回ったところで週末の再開を約束してお開きになりました。

てっぺんに戻るぴよ


2003年 1月27日(月曜日)

きんさんは先日来美樹先生に頼まれていた曲のアレンジがひと段落ついたので、

音源(CD)を持って先制のお宅へおいでになりました。

先生は私達二人が着くと、韓国で購入された男性デュオ(ケミストリーみたいなの)の

CDを聞かせて下さいました。

ルックス、歌声共に今の時代にウケそうな感じで、

美樹先生はたいそうお気に入りの御様子でした。

ただ、きんさんは内心「この手のアーティストは二番煎じと言われてもやむなし」と、

思っておられるのではないかと推測いたしましたので、

私は「この左側のやつ、サッカーの稲本に似てますね♪」と論評するに留めました。

 

さて、今回の曲は作曲は美樹先生ですが、

作詞は有名作詞家のM先生が為さり、本日はそのM先生も美樹先生のお宅へ

おいであそばされました

M先生は美樹先生のメロディのみならず

きんさんのアレンジもとてもお気に召した御様子で、

しきりに感激のお言葉を述べておられました。

しばらく4人でお話をした後、2階のスタジオ(って言うのかな、あれは?)

に上がって、譜割の確認や細かいアレンジの打ち合わせ、

そして美樹先生の歌入れをしました。

途中で土師くんも来ました。

美樹先生は全編にハモリを入れたり、

きんさんにストリングスを入れるように指示を出したりと、

色々と手を加えて行きました。

きんさんはその度に「そうじゃないんだよなぁ・・・・」という顔をなさり、

実際に美樹先生に抗議をなさろうとしましたが、

美樹先生が「じゃ、いいよ。それで。好きなようにやってよ」と

すねたような表情をするので、優しいきんさんはそれ以上は申さず、

結局は先生の思いつきのママに曲が仕上がって行くと言う、

いつもの光景が展開されました。

などと書きましたが、曲の出来上がりはマジで素晴らしく、

M先生も御満悦の御様子でした。

 

デモテープが出来上がったところで、きんさんはおいとまをしました。

美樹先生は「ご飯食べて行きなよ」とおっしゃって下さいましたが、

きんさんは大急ぎの仕事があるわ、

私は私で終電がヤバいわで、食事は御辞退させて頂きました。

美樹先生は御親切にも交通費を出して下さいました。

 

そうは言っても二人とも腹ぺこでしたので、

駅前の天屋で天丼を食べて帰りました。

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2003年 1月21日(火曜日)

吉祥寺のバウスシアターで行われた、落語会へ行ってきました。

開演は夜の7時からでしたが、きんさんの家に2時30分頃行きました。

行く前に、武蔵野市のゴミの分別方法と、収集日をチェックしました。

私が到着すると、きんさんはちょうどとあるゲームのOP曲の

最後の仕上げを為さっておられ、私にも聞かせて下さいました。

そして私がお持ちした肉まんをお召し上がりになると、

また作業をお始めあそばされました。

私はメモに従って、ゴミを武蔵野市のやり方で分別しながら

お部屋を掃除させて頂きました。

きんさんがゴミ出しをして下さっていたので結構スペースが空き、

さらに大掛かりな掃除が出来ました。

作業の終わったきんさんは、クラシックをトランスアレンジした曲を集めた

企画モノのCDを聞かせて下さいました。

CDは大変面白く、掃除の手が止まることもしばしばでした。

ひと段落ついたところで、二人でお風呂やさんへ行きました。

きんさんは御親切にも私にタオルを買って下さったばかりか、

銭湯代まで出して下さいました。

私は自宅を出る前にもお風呂に入ってきたので、

のぼせて早めに上がってしまいましたが、

「無類の風呂好き」と自称なさるきんさんはずいぶん長く入っておられました。

風呂から上がったきんさんは「のとさんも呼んでしかるべき」と申されましたので、

私が電話してみますと二つ返事でいらっしゃると仰せになりました。

そこで二人で吉祥寺へ向いました。

のとさんと合流してバウスに向いますと、ちょうど良い時間でした。

きんさんは何回もバウスでの落語会にはいらして居られ、

今日の演者では特に昇太に期待しておられる御様子でした。

どうやらメインの柳昇師匠は病み上がりと言うことで、

落語の演目はありませんでしたが、

その他の皆さんがそれを補ってあまりあるパフォーマンスを見せて下さいました。

以下、今日の演者及び演目です。

 

*柳昇あいさつ

 

1:春風亭小町〜ちはやふる

 

2:春風亭柳之助〜時そば

 

3:春風亭昇太&神田山陽〜真打ち披露口上の代りのフリートーク

 

4:春風亭昇太〜茶の湯(「ご隠居」にて確認)

 

5:神田山陽〜和田平助

 

上にありますように、本日は神田山陽の真打ち披露興業の一環として

行われたもので、大トリを山陽が務めましたが、

山陽の講談は大変な面白さで、きんさんものとさんもとても喜んでおられました。

公演終了後のお楽しみ抽選会は、残念ながら誰も当たりませんでした。

 

演目に「時そば」があったこともあり、終わった時には

3人とも腹ぺこでしたので、某Oで夕食をとりました。

きんさんは中華丼ゲなものと、おそばを召し上がりました。

きんさんは本当に今日の落語を楽しまれたようで、

今度は末広亭や浅草演芸場などの、

都内の老舗の寄席にまた行幸なさりたいとの御希望を述べられました。

そうこうしているウチに11時も近くなりましたので、

きんさんはバスに乗って自宅へお帰りになりました。

てっぺんに戻るぴよ


2003年 1月13日(月曜日)

美樹先生つながりでお近づきになった、畑君のライブに行きました。

(ライブは「嶽」名義)

きんさんとは1時に渋谷の楽器店前で待ち合わせでしたが、

極度の方向音痴の私を気遣って下さったきんさんは、

1時ちょっと前に電話をかけて下さり、迷子目前の私を誘導して下さいました。

きんさんはシンガー修行中のさるお方を伴っておられ、

歌の勉強をさせて差し上げようと言う御配慮のようでした。

ライブは2時からだったので、途中でお昼ご飯を食べてからライブハウスへ行きました。

 

ライブハウスへ行くと入り口のところでエンジニア手塚さんも見えておられました。

客席には阿久津さんも来ておられ、そうそうたる面々のギャラリーになりました。

さて、畑君のステージは面白いおしゃべりで始まり、

かっこいい曲&歌でお客を魅了していました。

始まる直前まで「めっちゃ緊張する〜」などと言っていた畑君でしたが、

ステージに上がると別人のように迫力がありました。

きんさんは熱心に歌を聞きながらも、歓声を送ったり

手を振ったり手拍子でリズムをとったりと、しきりにライブを盛り上げておられました。

自分が楽しむだけでなく、畑君の気持ちをも盛り上げようと言う

きんさんの暖かいお心づかいを感じました。

実際、畑君の歌は素晴らしく、「さるお方」も涙を流して喜んでおられました。

 

ライブがはねたところで手塚さんはお帰りになりましたが、

畑君の友人の方々も交えて近くのビールバーで打ち上げをしました。

その場でバイク雑誌編集長のKさん、福祉介護士のKさん、

プロシンガーのりあんさんとお近づきになることができました。

打ち上げでは畑君の「おもろい」トークが炸裂して、

わい談やら音楽談義やら人生観について等、色んな話で盛り上がりました。

きんさんは面白い話には適格なボケやツッコミをかまし、

なおかつ真面目な話題の時には真剣な意見を述べると言う、

話題の豊富さ、人間の器の広さをかいま見せられ、

満座の人々の心を打ちました。

打ち上げ終了後は三本締でお別れをしました。

きんさんは畑君の魅力をまたひとつ見つけて、

今日のライブ〜打ち上げには大変御満足されていたようでした。

 

ちなみに先ほど「ビールバー」と書きましたが、

きんさんもさるお方も私もお酒は一滴も口にしませんでした。

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2003年 1月10日(きん曜日)

きんさんの掲示板にもありましたように、

S社のK・Nさん(前説職人)が所属しておられる

DJグループのクラブイベントがあり、そこへきんさんもゲスト出演為さるとのことで

きんさんから直々にお誘い頂いたこともあって、私もお邪魔してきました。

開始は夜の10時からでしたので、きんさん宅に4時頃行き、

しばらくお掃除をさせて頂きました。

その間、きんさんは今日かけるCDを一生懸命焼いておられました。

どうやらCD焼きソフトの調子が悪いようです。

途中でさるお方からお電話があり、私が1人で勝手にきんさん宅の

お掃除をしていることをお怒りの御様子でしたが、

(さるお方もきんさんのお部屋を掃除なさることを望んでおられます)

恐れ多くもさるお方がお掃除をなされる時になるべく

お手数をかけることの無いようにと、適当にゴミを残しつつ

おおざっぱに、それでいて丁寧に部屋を片付けました。

 

きんさんはtake.Dさんのお宅へうかがう約束があったので、夕方に家をお出になりました。

take.Dさん宅では雑談したりTVにツッコミを入れたりと、楽しい時間を過ごしました。

お二人の話があんまり面白く盛り上がったので、

「Radio Monotone」の録音をすれば良かったですねと話しました。

8時過ぎにtake.Dさん宅を辞し、会場のある吉祥寺へ二人で向かいました。

私はディスコなら高校生の時に行ったことはあるのですが、

「クラブ」なる所は初めてだったので、いささか緊張していましたが、

DJ初体験となるきんさんはもっと緊張しておられました。

 

夕食をとってから会場のクラブへ行きましたが、

9時30分を過ぎているのに、誰も来ていないばかりか

お店のカギも開いていませんでした。

きんさんがK・Nさん(前説職人)に連絡すると10分ほどで見えるとのことでした。

きんさんは「頭痛が起きるような予感がする」と申され、

薬局で薬をお求めになりました。

そこはきちんとした薬剤師さんのいらっしゃる薬局で、

きんさんの症状を聞いて適切な薬を勧めて下さいました。

のみならず、すぐに飲むことを指示なされ、水まで下さいました。

また、体力回復&副作用防止の効果のある水薬や

縁起物のひつじのキーホルダーをきんさんだけでなく

ただ付いてきただけの私にまで下さいました。

お店を出て私はきんさんに「薬剤師萌えってのもアリですね♪」と申しますと

きんさんは「そちの申すことには理がある」とおっしゃいました。

 

さて、K・Nさん(前説職人)もいらして10時近くなりましたが、

まだお店は開きませんでした。

不信に思われたK・Nさん(前説職人)がお店のオーナーさんに電話為さると、

実は今年から開店が11時になったことが判明しました(爆)。

程なく出演者の皆さんもお集りになり、店員さんも見えてやっとお店が開きました。

K・Nさん(前説職人)は御親切にもゲスト待遇と言うことで私の入場料を半額にして下さいました。

暖かいお心づかいに感謝の言葉を述べて、会場に入りました。

 

11時になるとイベントが始まり、オープニングはK・Nさん(前説職人)さんでした。

さすがにK・Nさん(前説職人)さんはナイスな選曲と(「くるり」がよかった!)、

小気味良いテクニックでかっこいいDJぶりを発揮しておられました。

2番目の方は懐かしの邦楽中心(三上寛には脱帽)、のセットでした。

そしてついにきんさんの出番がやって参りました。

きんさんは御自分が音楽を担当なさった、某社のなにがしというゲームの

オープニングテーマをダンスリミックスしたものや、

某同人アルバムで製作なさった曲等をかけておられました。

選曲的にはかなりマニアックでしたが、

DJグループのリーダーの方が嬉しそうに私にきんさんのことを尋ねていらしたり、

会場の後ろの方で曲を聞いて爆笑している男性陣が居たりと、

一部の「わかる」方々にはウケているようでした。

出番が終わってからきんさんにそのことを申し上げますと、

嬉しそうな表情もお見せになりましたが、出だしを失敗したと申されて、

そのことをしきりに悔しがっておられました。

 

きんさんと私はしばらく二人で話をしながら、音楽を聞いていましたが、

全編ジャズと言うマニアックなセットを披露なさった、

Tさんが実は以前に某J事務所のアイドルデュオの曲の

アレンジその他を手掛けた方だと言うことが分かり、

きんさんはTさんと熱心に情報交換や身の上話を為さっていました。

私はその場に居りませんでしたが、大変有意義な会話が出来たようで、

新しい出会いを嬉しく思っておられる御様子でした。

(きん音楽度+1、きん人脈度+1)

 

4時も近くなりますとさすがに年のせいか二人ともグッタリしてきましたので、

K・Nさん(前説職人)にお礼を申し上げ、

次のイベントにもお誘い下さるようお願いして、お店を出ました。

そして某F・Kで食事をしましたが、まだバスが始まっていなかったので

某ファミレスCに河岸を変えて時間を潰しました。

きんさんはそこでも冒頭の失敗を悔やんでおられましたので、

私が「失敗を悔やむのは向上心の現れであると心得ます」

(「真剣10代しゃべり場」の受け売り)と申し上げますと、

きんさんは「げにも」とおっしゃり、次の機会への思いを新たにしておられました。

そうこうしているウチにバスも始まりましたので、

「またクラブ行きましょう」と約束して

吉祥寺駅できんさんとお別れしました。

 

「クラブで遊んで朝帰り」という、

不良女子高生のような足掛け2日間でした。

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前の年のきんさん