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久留米でお仕事&凱旋帰国スペシャル2003

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「ある日のきんさん」久留米でお仕事&凱旋帰国スペシャル 2003
8月6日から10日まできんさんにくっついて福岡へ行って参りました。
その模様をお知らせしたいと思います

6日 7日(前編) 7日(後編) 8日 9日 10日


8月10日(日曜日) 晴れ

私が目を覚ますと、きんさんはすでにお目覚めでいらっしゃいました。

どうやら朝風呂に入られた御様子でした。

 

今日も朝食をだらだらと取りまして、10時頃にホテルを出ました。

大変天気が良くて、まだ午前中だというのに気温は30度を大きく越えていました。

 

地下鉄で福岡空港に着くと、搭乗時間までかなり時間がありましたので、

おみやげを買うことにしました。

 

きんさんは友禅染めの扇子入れと、浴衣を着たうさぎの人形をお求めになりました。

 

そして、空港内の食堂で昼食をとりました。

きんさんはそうめんセットを召し上がりました。

 

食後に搭乗手続きをしに行きますと、

もっと早い時間の飛行機に乗れることが分かったので、

予約してある便はやめて、2時間早い飛行機に乗ることにしました。

飛行機の中で、前に座った御家族の赤ちゃんがきんさんを気に入り、

さかんにきんさんの方を降り向いて、ニコニコしておられました。

きんさんも御満悦の御様子で、変な顔をなさってあやしておられました。

 

羽田からはモノレールに乗って浜松町まで行き、

そこから山手線に乗り換えて秋葉原へ行きました(またかい!!)。

 

特に買い物をする訳でもなく、いきつけの店を冷やかして廻りました。

 

さすがにきんさんはお疲れの御様子で、

晩ご飯を食べに行ってもあまり多くは召し上がりませんでした。

 

そんなこんなで夜も更けて参りましたので、

私はきんさんにお礼を申し上げて、JRの駅でお別れしました。

きんさんは総武線に乗って三鷹へと帰って行かれました。

 

そんな訳で、私達の旅は終わりました。

きんさんのお陰で歌の収録に立ち会えたし、のみならず福岡を思う存分旅行出来ました。

本当にみのりのおおい5日間でした。

(完)

 上に戻ろう!


8月9日(土曜日) 晴れ

私が目を覚ますと、きんさんはもう起きていらっしゃいました。

そして朝ご飯に誘って下さいました。

今朝もきんさんはたくさん召し上がりました。

 

宿を出て、バス停に向かいますと議長から電話がかかりました。

きんさんと私はかわるがわる議長とお話をしました。

私はこの数日間の楽しさを議長に話して、思いきり自慢しました。

 

古式ゆかしいイイ感じにくたびれたバスに乗って金子屋さんに参り、

お母さまに、「大変お世話になりました」と、ご挨拶申し上げました。

そして、歩いて柳川駅まで向かいましたが、

私は途中の楽器屋さんで、一昨日から目をつけていた、

「天使の声の作り方」というボイストレーニングの本を買いました。

将来お弟子さんを持った時に、ちゃんと教えてあげることが出来るようにです。

 

(そんな日が来るのか?!・・・というツッコミはさておき)

 

柳川からは西鉄で天神まで行き、そこで地下鉄に乗り換えて

博多まで行きました。

きんさんが手ごろなビジネスホテルを取って下さったところで、

二人して博多の待ちにくり出し、かの有名なキャナルシティに行きました。

 

適当なお店で食事を取り、お茶を飲みながら

Sさんつながりで依頼された、きんさんの曲の歌詞を考えました。

最初に私がベースとなる詞を書いてきんさんにお見せ致しますと、

きんさんは、よろしくない部分を厳しいながらも丁寧に御指摘下さいました。

きんさんに御指導頂いた部分を直しておりますと、

ボーカルトラックス会長のTyuhさんからメールが入りました。

夕食をご一緒する約束をしていましたので、

作詞の作業はひと休みすることにして、キャナルシティを出ました。

 

Tyuhさんは博多の近くの姪浜(めいのはま)にお住まいで、

自動車で来て下さいました。

そしてきんさんと私を中洲に連れて行って下さり、

3人で屋台に腰を落ち着けてラーメンやら焼き鳥やらホルモン焼きやらで、

豪勢な夕食を取りました。

中洲の屋台でラーメンを食うという夢がかなって、

私は天にも昇る心地でした。

 

Tyuhさんは、もっとどこかへ連れて行って下さるとおっしゃって下さいましたが、

まだ作詞が終わっていない私は気が気ではなかったので、

Tyuhさんに丁寧にお断わりして、そこでお別れしました。

わざわざ出て来て頂いたのに申し訳なかったので、

Tyuhさんが東京にいらした時はたくさんおもてなしをしようと心に決めました。

 

きんさんも、きっと博多の夜を楽しみたかったろうに、

私の仕事が遅いせいでダメにしてしまったので、

せめて良い詞を書こうと、私はホテルに帰ってから

一生懸命書きました。

 

それでもやっぱりいまいち「イケテナイ」詞になってしまいましたが、

きんさんは嫌な顔ひとつせずに、

「ここはかような表現にするがよろしかろう」などと、

懇切丁寧に御指導下さいました。

おかげで、どうにかこうにか歌詞が完成し、

(てゆーか、ほとんどきんさんがお書きになりました)

私達はお風呂に入って明日のフライトに備えてベッドに入りました。

 

次の日へ


8月8日(きん曜日) 雨のち晴れ

今日は台風が近くを通ったせいで、雨が降っていましたが

結構逸れたためにあんまりひどくはありませんでした。

そんな中、目を覚ますとちょうどきんさんが部屋まで迎えに来て下さいました。

二人そろって朝ご飯を食べに参りました。

今日もきんさんは和食の朝食をお召し上がりになり、

ご飯もたくさんお代りなさいました。

 

チェックアウトが済むと、妹さんが車で迎えに来て下さり、

金子屋さんまで送って下さいました。

御自宅に戻られたきんさんは、「さしあたって髪をば切らん」と仰せになられ、

昔からなじみの近所の床屋さんへおいでになられました。

私もついて参り、きんさんが散髪をなさっておられる間、

漫画を読んでお待ち申し上げました。

 

髪を切ってさっぱりなさったきんさんは、

妹さんの車を借りて下さり、ドライブに連れて行って下さいました。

 

まずは大川市にある、古賀正夫記念館へ参りました。

日本の歌謡曲の草分けとも言うべき、偉大な作曲家先生の

蒼々たる業績をたどりながら、きんさんと私は

「いつか越えてやるぞ、今に見てろよ!」と、決意を新たにしました。

 

次にきんさんはつい先日発売されたYMOのアルバムを御所望され、

いくつかのCD店をお巡りになられましたが、

どこにもなかったので、ちょっと離れた佐賀のジャスコ内にある、

タワーレコードでそれをお求めになられました。

車にはCDプレイヤーが付いていましたので、

二人で聞きながら高速をかっ飛ばしました。

きんさんはそれぞれの曲について、詳しく御説明下さいました。

そのおかげで、私もずいぶんとYMOに関するうんちくが増えました。

 

高速を降りると、きんさんは太宰府天満宮へ向かいました。

平安のみやびを今に伝えるそのたたずまいは、

長い歴史の重さが感じられて圧倒される思いがしました。

(なお、現在の本堂は安土・桃山時代の建築)

天満宮には宝物殿もあり、太宰府ゆかりの品々が多数陳列されていました。

私の大好きな高杉晋作の手紙なんかもあって、感激しました。

余談ですが、宝物殿のお客さんの中に

Sex Pistolsのトートバッグを持って見学している女の子がいて、

私はちょっと萌え萌えモードになりました。

 

天満宮を出たきんさんは、近くのお店で昼食をごちそうして下さいました。

デザートには、太宰府名物の梅ヶ枝餅も勧めて下さいました。

 

お食事後に、きんさんは「高校生の折より欲せども手に入り難し品ぞありける」と

仰せになられ、オルゴール専門店(!!!)にいらっしゃいました。

膨大な数のオルゴールの中できんさんのお心を捕えて離さぬのは、

ハチドリが鳴きさえずると言う、世にも珍しい逸品で、

お値段の方もここに書くのも憚られるほどの額でした。

きんさんは上品なおじさんの店員さんにそれを見せて頂き、

深いため息をついて「いずれの日にか、必ずや我がものとせん」と、

固く心に誓っていらっしゃる御様子でした。

 

太宰府を後にしたきんさんは、梅林寺〜七木地蔵〜きんさんの母校と、

私を色んな所に連れて行って下さり、

夕方に金子屋さんに戻って参りました。

 

夕飯はお母さまがスペシャルディナーを出して下さいました。

ものすごーく大きなステーキ(!!!)をメインに、

金子屋さん御自慢のポテトサラダやお味噌汁など、

どれもこれも舌がとろけるように美味しくて、

私は「ありえなーい! ありえなーい!」と、絶叫しながら食べました。

 

お食事が終わると、今日の宿のかんぽのホテルへ参りました。

きんさんと一緒の部屋で、大浴場へも二人で行きました。

入浴後には、マッサージチェアや足裏マッサージ機にも挑戦しました。

二人とも結構疲れがたまっていたので、

ツボを圧迫されるたびにあまりの痛さに泣きました。

 

きんさんは部屋にお戻りになると、しばらく起きていらっしゃいましたが、

布団に横になると一瞬にして眠っておしまいになられました。

次の日へ


8月7日(木曜日)*後編  曇りのち雨

5分ほど歩くと船着き場に到着しました。

川下りの船は定員に達してから出発するとのことで、

私達は桟橋のベンチに座って待っておりました。

同じく船を待っておられた御年配の御夫婦(松山からお見えになられた)と話しておりますと、

奥様がスケッチブックを取り出して、何やら絵を描き始めました。

きんさんは大変興味をお示しあそばされ、

奥様にお声をおかけになりますと、奥様はスケッチブックを見せて下さいました。

奥様は、今まで御旅行為さった場所の風景をスケッチしておられるとのことで、

ギリシャやエジプトなど、外国の絵もたくさんお描きになっていらっしゃいました。

 

しばらくするとお客さんも集まり、船が出発しました。

船頭さんは大変ベテランの方で、船をあやつりながら色々と

説明をして下さいましたが、それに加えて

きんさんも詳しくお話をして下さったので、まるでガイドさんが二人いるようでした。

ちなみに「川下り」と名前がついていますが、

正確には川ではなく旧城のお堀を船で廻るので、

「上下どこから乗っても川下り(船頭さん談)」なのだそうです。

 

途中にはいくつかの船着き場があり、

松山の御夫婦はそこで「ここからバスに乗る」と、船を降りられました。

 

私達は終点まで行って、船を降りました。

まずご飯を食べようと言うことになり、

柳川名物のうなぎのせいろ蒸しの老舗に入りました。

 

柳川のうなぎは、ご飯に乗せた状態でタレをかけ、

そのまませいろで蒸しあげるのだそうです。

江戸前のうな重や、名古屋のひつまぶしとはひと味違って、

良く蒸してあるうなぎが大変柔らかくて美味しく頂きました。

 

うなぎ屋さんを出ると、すぐ近くにある北原白秋記念館に行きました。

白秋の生家を博物館のように改造してある建物です。

中には白秋の自筆原稿や遺品など、貴重なものがたくさんありました。

売店もあって、私はそこで白秋の童謡集のCDを買いました。

なんと売店の売り子のお姉さんはきんさんのお知り合いの方でした。

また、先程別れたばかりの松山の御夫婦にばったりと会い、

きんさんはびっくりなさっておいででした。

 

記念館を出ると、歩いてきんさんのお屋敷まで帰りました。

途中でお花亭や神社にも寄りました。

きんさんは神社でおみくじをお引きになり、大吉をお引きあそばされました。

きんさん邸に戻って奥のお部屋でダラダラしておりますと、

お母さまがコロッケを運んで下さいました。

金子屋さんの名物コロッケだそうで、

牛肉コロッケと豚肉コロッケを二つづつ下さいました。

揚げたてのコロッケはほくほくとして大変美味しく、

ソースをかけずにぺろりと食べてしまいました。

 

しばらくするときんさんの妹さんご夫婦が、車で迎えに来て下さり、

今日泊まる宿まで送って下さいました。

途中でラーメンやさんに寄り、夕食をとりました。

地元で本物のとんコツラーメンを食べるうれしさに、

思わず替え玉を注文してしまう私でした。

宿に着くと、きんさんとは別の部屋でしたので、

明日に備えて洗濯をしてから早めに寝ました。

 

次の日へ

 


8月7日(木曜日)*前編  曇りのち雨

朝の8時頃に目を覚ますと、きんさんはすでに起きていらっしゃいました。

どうやら早起きをなさって、朝風呂に入っていらした御様子でした。

きんさんは朝ごはんに間に合うように私を起こして下さいました。

 

朝食のレストランへ降りて行くと、Sさんたちも後からおいでになりました。

前の晩に頼んでおいた通り、きんさんの前には和食の朝ご飯が運ばれました。

きんさんは大変良くお召し上がりになり、ご飯をたくさんお代りあそばされました。

 

食事が済むと、荷物を片付けてホテルを後にしました。

きんさんはSさんに丁寧にお礼を申し上げました。

きんさんの実家のある柳川へは、Sさんの会社のHさんが車で送って下さいました。

大変なおもてなしをして下さったのみならず、そのようなことまでお世話になって、

きんさんはたいそう恐縮しておいででした。

 

きんさんの御実家にお邪魔すると、お母さまがお迎えして下さいました。

私はいつもきんさんにお世話になっているご挨拶がわりに、

千葉の名産の落花生をお渡ししました。

 

きんさんの御実家はお肉屋さん(屋号は金子屋さん)で、お店にはきんさんのポスターや、

M先生のサインが飾ってありました。

中は大変美しいお店で、とても気持ちの良い感じでした。

また、待っているお客さんが疲れないようにとベンチが置いてあったり、

肉やお惣菜だけで無く、ジュースやお菓子なども置いてありました。

壁を見ると、小学校の生徒さんが校外学習でレポートした、

金子屋さんのお仕事の様子が詳しく書いてあり、

先述のベンチの事や、ジュース&お菓子を扱っておられること、

またお客様に喜んでもらえるように、

他にも色々な工夫をなさっておられる御様子が良く分かりました。

私はそれを読んで、きんさんのサービス精神や、ユーザーの皆さんの事を

第一にお考えになるプロ意識はここで育まれたのだなと、胸が熱くなりました。

 

さて、荷物を置かせて頂くと、きんさんは柳川名物の川下りに連れて行って下さいました。

近くなので歩いて行くと、途中に大きな楽器屋さんがありました。

二人で入って中を見ますと、CDや楽器を売る他に、ライブスタジオまでありました。

きんさんの音楽の原点はこのライブハウスだったのかと思うと、感慨深いものがありました。

 

また少し行きますと、きんさんは「この家は、我が後輩の家なり。

家業はあめ屋にて、柳川名物との覚えめでたきこと、はたいふべきにあらず」と、

説明して下さいました。

すると、玄関の戸が開いて後輩のまさおさんが出てきて下さいました。

「いや〜、声が聞こえてきたもんだから!」とおっしゃっておられました。

私はまさおさんに「弟子です」とご挨拶申し上げました。

挨拶が済むとまた二人で川に向かって歩き出しましたが、

なんとまさおさんはわざわざ原チャリで追っ掛けていらして、

自家製のあめとおこしを「おみやげに」と、持ってきて下さいました。

私達はまさおさんにお礼を申し上げて、また川へ向かいました。

後編へ


8月6日(水曜日)晴れ

福岡にお住まいの歌手、Sさんの御依頼で曲をお書きになったきんさんは、

Sさんの歌の録音の為に久留米にいらっしゃることになりました。

で、私もその曲の作詞をお手伝いしたので、Sさんはなんと私も一緒に来るように

手配をして下さり、きんさんと飛行機で一路九州へ向かいました。

 

朝の8時半羽田発の飛行機だったので、遅刻しないように徹夜して行きました。

念のため家を出る時にきんさんに電話しましたが、

さすが、きんさんはもうお目覚めでいらっしゃいました。

早めに待ち合わしたので、時間的には少し余裕がありましたが、

夏休みということもあって、空港は結構混んでいました。

 

搭乗手続きが終わると、二人で立ち食いそばの朝食をとりました。

きんさんは肉そばを召し上がりました。

1時間30分あまりのフライトは大変快適で、

きんさんは席に備え付けのゲームを楽しんでおられました。

 

福岡空港に着くと、Sさん御自ら車で迎えにきて下さっていました。

きんさんと私はSさんの運転するベンツ(!)で、

録音スタジオ(久留米)に向かいました。

時間的にちょうどお昼だったので、スタジオ近くのファミレスに入りますと、

Sさんの会社の方や、Sさんの歌手仲間のTさんもお見えになられ、

きんさんは丁寧にご挨拶をなさいました。

 

昼食が終わると、いよいよレコーディングが始まりました。

今回の録音は3曲でしたが、Sさんは大変調子がよろしいようで、

大した問題もなくすいすいと進みました。

きんさんも満足なさっておられる御様子でした。

また、ミキサーの方はとても若い方でしたが、

大変感じの良いお兄ちゃんで、きんさんとも意気投合されたようでした。

 

ちなみに、私はスタジオで調の変更や音合わせもあるかと思い、

念のためギターを持って行ったのですが、

どうやら必要がなさそうだったので自宅へ送り返そうと思い、

ケースを担いで近くのコンビニに行こうとすると、

Sさんが「我が会社の契約せりし宅配便にて送るがよろしかろう」と、おっしゃいました。

私は御迷惑になるからと固辞いたしましたが、

熱心に勧めて下さるので御好意に甘えることにしました。

 

さて、レコーディングが終わりますと、

Sさんが杷木にある温泉宿へ連れて行って下さいました。

そのホテルは実に立派な建物で、なんと山の中腹に建っていました。

Sさんと、Sさんの会社の方、そしてきんさんと私の4人で泊まりました。

まず露天風呂に入って疲れを癒してから、お食事を頂きました。

まるで殿様のような接待をして頂き、

ついこの間まで、とある仕事のせいで死にそうになっていたのが信じられないような夢心地でした。

 

お食事が終わると、きんさんと私はSさんにご挨拶をして部屋に戻りました。

きんさんはさすがにお疲れになられたようで、

私がTV(「大地の子」の再放送)を見ている間にすぐにお休みになられました。

次の日へ